5位:アトランタ五輪(1996年)
成績:グループリーグ敗退(2勝1敗)
監督:西野朗
主将:前園真聖
オーバーエイジ:なし
1996年のアトランタ五輪(アトランタオリンピック)は、日本サッカー界にとって重要な1ページが刻まれた大会だった。サッカー王国ブラジルのU-23代表を下した“マイアミの奇跡”は、いまも語り継がれている伝説のゲームだ。しかし、グループリーグで2勝したものの、準々決勝に進めず敗退した。
1993年にJリーグが開幕して日本のサッカー人気が高まる中、西野朗監督率いるU-23日本代表は初戦でブラジル代表と対戦。リバウド、ベベット(いずれもオーバーエイジ枠)、ロベルト・カルロスといった世界的な有力選手が先発で出場した優勝候補のセレソンには、ベンチにのちの大エースであるロナウドもいた。そんなサッカー王国をアジアのチームが驚かせた。当時19歳の中田英寿らが出場して日本代表が組織的な守備を続けると、72分に伊東輝悦が決めたゴールが決勝点となり、歴史的な勝利を収めた。
しかし、U-23ナイジェリア代表と対戦した第2戦は終盤の2失点で0−2と敗れてしまうと、第3戦はU-23ハンガリー代表に3−2で勝利したものの、勝ち点6で3チームが並び、得失点差で日本代表は敗退した。
日本代表が敗れたナイジェリア代表は、この大会で最終的に金メダルを取った。日本代表の結果はグループリーグ敗退だったが、ブラジル撃破という快挙を除いても、日本サッカー界はこの大会で世界と戦えるという自信を得たのではないだろうか。