J1で直面した現実「監督との相性もあって…」
「自分自身、ヴェルディで自信を積み上げた上で移籍したこともあり、十分戦えるんじゃないかと思ってJ1に挑みました。だけど、監督との相性というのもあって出場機会が最初はなかなか得られず、難しいシーズンだったかなと思います。その中で(シーズンを通して)戦術理解のところや自分の良さを見つめ直したり、自分の悪いところを見つめ直しながら、練習から取り組んでいたことが最後の方は少し実ったのかなと思います」
ーー東京Vでの成功があったからこそ悩みの多い1年だったんですね。
「プロになってから2年目でしたけど、試合に出られなかったり、ベンチ外というのを初めて経験しました。コンディションの部分でも試合に出ている選手と差をつけられてしまうので、そういったところの難しさも感じました」
ーー翌シーズンにはJ1のトップクラブでもある横浜F・マリノスに移籍します。ボランチのポジションも競争が激しい中で、移籍を決断した経緯はどんなものだったのでしょうか?
「まずはヴォルティスがJ2に落ちてしまったというのが一つの要因ではあります。その上でオファーをいただきました。やはり横浜FMのサッカーというのはすごくスピード感のあるサッカーで、自分が今まで経験したことなかったようなものでした。そして優勝を狙えるチームだったこともあって移籍を決断しました」
ーートップレベルの競争に挑んでいった中で、シーズンを通して29試合に出場しました。ご自身の手応えとしてはどうだったんでしょうか?
「連戦があるときはターンオーバーでスタメンの機会は増えていましたけど、最後の方は(主力選手の)牙城を崩すことができずにシーズンが終わってしまった。優勝できたことはすごく嬉しかったんですけど、個人的にはやはり難しいシーズンだったと思います」
ーー藤田選手は自分のことをいろいろ分析しているイメージがあるのですが、その年はどんなところが足りなかったと思っていますか?