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Jリーグ 2か月前

17歳の分岐点。ガンバ大阪ユース時代の「苦い思い出」が髙橋直也の今を作る。湘南ベルマーレDFのルーツとは【コラム】

シリーズ:コラム text by 加藤健一 photo by Getty Images

「拒否感と悔しさ」プレースタイルのルーツと転機


 この武器のルーツは、ボランチやトップ下でプレーすることが多かった中学時代にあるという。「中学時代は10番を背負うこともあったので、攻撃の部分は得意でした」と話す高橋だが、ガンバ大阪ユース時代はBチームでプレーしていた時期もある。キャリアの転機となったのが、今プレーしているセンターバックへのコンバートだった。

 本格的にセンターバックでプレーするようになったのは高校2年生の夏頃からだという。ボールを握る攻撃的なスタイルだったガンバユースで、「お前みたいに後ろから配球できる選手はいない」と評価されたことがきっかけだった。

 DF転向をきっかけにユースのAチームでも先発することが増え、翌年には高校3年生ながらガンバ大阪U-23の一員としてJ3リーグで11試合に出場。トップチームの練習にも絡めるようになった。このとき、トップチームでヘッドコーチを務めていたのが山口智だった。

 ポジションを下げることに、当初は「拒否感があり、嫌な、悔しい気持ち」があったという。「当時はあまり受け入れられなかった自分もいました」と当時の葛藤を明かす一方、「今となってみればすごい分岐点になりました。そのときがあったからこそ今ここで戦えている。苦い思い出でもあり、いい経験でもある」と振り返る。

 MFだった髙橋だからこそできるプレーがある。髙橋の武器はJ1でも変わらない。。両者のプレースタイルは異なるものの、それはプロ2年目にサイドアタッカーから同ポジションにコンバートされた山根視来に重なる元々のポジションで発揮していた長所を発揮しつつ、最終ラインで求められる守備力が備われば、彼にしか務まらない選手像ができあがる。

「相手との駆け引きや味方の動き、味方が受けやすいボールを届けるとか、そういうのはずっと自分の武器としてやってきた。最近J1の試合に絡むことができ始めていて、そこが通用するというのは自信にもなっている」

 一方で、山口監督は髙橋について「ある程度、目をつぶっている」ことがあるという。

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