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「東欧最強クラブ」と呼ばれるウクライナのシャフタール・ドネツク。チーム関係者の膨大な証言を通して、知られざる流浪の英雄たちの戦いに光を当て、クラブの熱源に迫った『流浪の英雄たち シャフタール・ドネツクはサッカーをやめない』より「再び起こっている」を一部抜粋して公開する。(文:アンディ・ブラッセル、訳:高野鉄平 )
「彼は大きな変化をもたらした」
【写真:Getty Images】
チャンピオンズリーグの本戦自体は、より厳しい戦いになったと言わざるを得ない。
プレーオフラウンドは素晴らしい冒険だったが、感情面でも肉体面でも力を尽くしたことが響き、カストロの率いていた前年のグループステージほど伸び伸びとプレーすることはできなかったのだろうか。
監督にとっても、欧州の大会で指揮を執るのは初めての経験だった。
「チャンピオンズリーグもリーグ戦と同じだ。プレミアリーグもセリエAと変わらない。サッカーはいつもサッカーだ」とデ・ゼルビは主張する。
しかし、学びの過程にいたのは監督だけではなかった。クラブは数年間にわたって緩やかに規模を縮小してきており、才能はあっても未熟な選手たちが自分の道を見つけようとしているところだった。
「チャンピオンズリーグでの私のシャフタールは平均年齢21.2歳だった。(大会で)最も若いチームのひとつだ」。当然ながらデ・ゼルビは、チームを引き締めるのではなく、彼らが自分たちのプレーを表現できるように指導していた。
「選手たちを能力主義で指導し、出来る限りクオリティの高い選手たちを先発メンバーに入れようとしていた。楽しめるようにすること、いつも良いサッカーをすることに取り組んでいた」
それは崇高な感情だった。現実はもっと厳しかった。特に、アウェーのモルドバ(ティラスポリ市の自称によればトランスニストリア)で行われたシェリフ・ティラスポリとの初戦には0対2で敗戦を喫した。
ユーリー・ヴェルニドゥブ監督の率いるシェリフが、この次の試合ではサンティアゴ・ベルナベウでレアル・マドリード相手に衝撃の勝利を飾ったことを考えれば、ある程度は許される余地のある結果だとも感じられる。
その後のシャフタールの戦いぶりには良い部分もあったが、あまり報われなかった。
「ホームでのインテル戦はあまり運に恵まれず、勝てていてもおかしくはなかったが最終的には引き分けた。レアル・マドリード戦も(同じだった)。順位は4位に終わったが、内容的にはそれ以上だったと思う」とデ・ゼルビは主張する。
ヴェルニドゥブは50代半ばのウクライナ人であり、西部の都市ジトーミルの出身。彼はチームがUEFAヨーロッパリーグのベスト32でポルトガルのブラガに敗れたあと、すぐにシェリフとトランスニストリアを離れ母国に戻って軍に入隊し、その後ウクライナ・プレミアリーグのクリウバス・クルィヴィーイ・リーフの監督に就任した。
シャフタールとしてもデ・ゼルビとしても、ポテンシャルを十分に発揮しきれないという感覚に慣れなければならなかった。選手たちは応えてくれていた。
「彼は大きな変化をもたらした」と、マノール・ソロモンは振り返る。
「もちろん、彼が力強い考えを持った素晴らしい監督だということは就任からすぐにわかった。常にプレスをかけ続けるのが彼の好む戦い方だった。常にボールを持ち続けるのを好んでいた。フォーメーションは少し違ったので、選手たちは適応する必要があった。
ロベルトは本当にトップクラスの監督だと思う。今のブライトンを見てもわかる。彼がシャフタールに残っていれば、間違いなくあそこで何か大きなことを成し遂げていたと思う」
(文:アンディ・ブラッセル、訳:高野鉄平 )
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<書籍概要>
『流浪の英雄たち シャフタール・ドネツクはサッカーをやめない』
アンディ・ブラッセル 著、高野鉄平 訳
定価2,420円(本体2,200円+税)
8年間で2つのホームを失ったウクライナ最強クラブの熱源
「東欧最強クラブ」と呼ばれて久しいウクライナのサッカークラブ、シャフタール・ドネツクは、2014年以来、ホームスタジアムでプレーしていない。同年4月にドンバス地方で戦闘が開始されると避難を余儀なくされ、22年2月にはロシア軍のウクライナ本格侵攻により再度の避難を強いられた。さらに主力選手の流出など、自らの姿を見つけだす必要に迫られる普通ではない状況の中、それでもシャフタールは普通にプレーし続けている。シャフタール関係者の膨大な証言を通して、知られざる流浪の英雄たちの戦いに光を当てる。
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【了】