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史上最強の助っ人は? Jリーグ、歴代外国人選手ベストイレブン。日本中のファンを魅了した最高の男たち

シリーズ:編集部フォーカス text by 編集部 photo by Getty Images

ミッドフィルダー

かつてジュビロ磐田で活躍したドゥンガ
【写真:Getty Images】


ドゥンガ(元ブラジル代表)
生年月日:1963年10月31日
所属クラブ:ジュビロ磐田(95年~98年)
J1通算成績:99試合出場/16得点

 ブラジル、イタリア、ドイツでプロキャリアを築いたドゥンガは、ブラジル代表の中心だった。1994年のアメリカワールドカップではキャプテンとしてブラジル代表の優勝に貢献すると、その数か月後にジュビロ磐田にやってきた。

 Jリーグ参戦2年目の95年に加入したドゥンガは、若き日の藤田俊哉、名波浩、福西崇史らとともにプレーした。97年には2ndステージ優勝、チャンピオンシップを制してクラブ初の年間優勝を達成し、ドゥンガは年間最優秀選手賞を受賞。世界の頂点を経験したセレソン(ブラジル代表)の主将は、闘将の愛称を体現するかのうようにピッチでリーダーシップを発揮して、黄金期の礎を築き上げた。

 98年にはブラジル代表としてフランスワールドカップに出場。Jリーグでは2年連続となるベストイレブンに輝いたが、このシーズン限りで磐田を退団した。現役を引退した1999年にはアドバイザーに就任し、磐田の黄金期を支えている。

かつて東京ヴェルディで活躍したビスマルク
【写真:Getty Images】

ビスマルク(元ブラジル代表)
生年月日:1969年9月17日
所属クラブ:ヴェルディ川崎(93年夏~96年)、鹿島アントラーズ(97年~01年)、ヴィッセル神戸(03年9月~03年12月)
J1通算成績:283試合出場/69得点

 ブラジル代表のビスマルクがヴェルディ川崎に加入したのは、Jリーグ開幕初年度の1993年夏のこと。18歳でブラジル代表に選ばれ、2年後にはイタリアワールドカップに選出された逸材は、憧れのジーコがプレーする日本に23歳のときにやってきた。

 豪華なメンバーを擁したヴェルディは初年度からリーグ連覇を達成した。ビスマルクも94年から2年連続でベストイレブンに輝き、3年半で5つのタイトルタイトル獲得に貢献している。

 97年に移籍した鹿島アントラーズではジーコがつけていた10番を継いだ。リーグカップと天皇杯の2冠に輝いた同年に3度目のベストイレブンに輝くと、2000年にはJリーグ初の国内3冠に貢献。ヴェルディと鹿島で獲得したタイトルは12個に及び、優勝請負人と呼ばれた。

 01年限りで鹿島を退団してブラジルに戻ったが、03年9月にヴィッセル神戸に加入。チームを降格の危機から救ったが、その年限りでチームを去った。およそ9年間で283試合に出場し、69得点を挙げている。敬虔なキリスト教徒だったビスマルクが行うゴール後の祈りのポーズは、当時の子どもたちがこぞって真似をしていた。

かつてヴィッセル神戸で活躍したアンドレス・イニエスタ
【写真:Getty Images】

アンドレス・イニエスタ(元スペイン代表)
生年月日:1984年5月11日
所属クラブ:ヴィッセル神戸(18年夏~23年夏)
J1通算成績:86試合出場/19得点(~2021年まで)

 アンドレス・イニエスタはスペイン代表の南アフリカワールドカップ優勝、EURO連覇に貢献。バルセロナを9度のリーグ優勝と4度のUEFAチャンピオンズリーグ制覇に導いたレジェンドは、ロシアワールドカップを終えた18年夏にヴィッセル神戸にやってきた。

 90年代に来日したスターたちと同様に、イニエスタは日本でもその卓越した技術を披露した。イニエスタ見たさに試合はホーム、アウェイ問わずに満席に。イニエスタ加入後のチームは度重なる監督交代などに揺れたが、トルステン・フィンク監督が19年夏に就任すると、天皇杯優勝に貢献。イニエスタは19年と21年のベストイレブンに選出されている。

 他のレジェンドたちに比べるとJリーグでの数字の面の実績は劣る。だが、イニエスタがピッチで見せる最高の技術はどのレジェンドよりも優れたものだといえるだろう。

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