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史上最強の助っ人は? Jリーグ、歴代外国人選手ベストイレブン。日本中のファンを魅了した最高の男たち

シリーズ:編集部フォーカス text by 編集部 photo by Getty Images

サイドバック

かつて鹿島アントラーズで活躍したジョルジーニョ
【写真:Getty Images】


ジョルジーニョ(元ブラジル代表)
生年月日:1964年8月17日
所属クラブ:鹿島アントラーズ(95年~98年)
J1通算成績:103試合出場/17得点

 フラメンゴではジーコとチームメイトで、その後に渡ったドイツではレバークーゼンとバイエルン・ミュンヘンでプレーした。ワールドカップにはイタリア大会から2大会連続で出場し、94年のアメリカ大会ではブラジル代表の優勝に貢献。鹿島アントラーズには、ジーコが現役を退いた翌年の95年に加入した。

 鹿島は96年に初のリーグ優勝を達成。年間最優秀選手賞とベストイレブンをダブル受賞したジョルジーニョは、優勝の立役者となった。所属した4年間で4つのタイトル獲得に貢献し、98年限りで鹿島を退団した。ブラジル代表では右サイドバックだったが、鹿島では元日本代表の本田泰人とボランチでコンビを組むことが多かった。

 03年に現役を退いたジョルジーニョは、06年に監督業を開始。同年夏からはドゥンガ監督率いるブラジル代表のヘッドコーチを務めている。12年には古巣・鹿島の監督に就任してリーグカップを獲得したが、リーグ戦は11位に終わり、1年限りで退任となった。

かつて横浜F・マリノスで活躍したドゥトラ
【写真:Getty Images】

ドゥトラ(ブラジル出身)
生年月日:1973年8月11日
所属クラブ:横浜F・マリノス(01年夏~06年、12年~14年夏)
J1通算成績:213試合出場/9得点

 ドゥトラはかつて、ロベルト・カルロスと将来のブラジル代表を争うといわれていた。しかし、ブラジルではキャリアを築けず、レンタル移籍で2001年に横浜F・マリノスに加入した。

 28歳の誕生日にJリーグ初出場を飾ったドゥトラは、マリノスの左サイドバックに定着。03年からはチームの連覇に貢献し、岡田武史監督からは「替えが利かない存在」と評された。しかし、チーム事情から06年限りで退団。ドゥトラはブラジルへ帰ることになった。

 5年ぶりのマリノス復帰となったのは2012年だった。このとき既にドゥトラは38歳となっていたが、この年は29試合、13年も33試合に出場。13年には9年ぶりのタイトルとなる天皇杯優勝に貢献している。14年もプレーしたが、41歳の誕生日を前に契約満了をもって現役を引退した。

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