一度は逃したトップチーム昇格のチャンス
「自分はまだ正式には入団していないんですけど、遠征メンバーに入っていない選手もいるなかで、選ばれたからにはもう他のことは言っていられない。チームの一員として戦わなきゃいけない、と」
京都のU-18に所属していた中野は、トップチームへの昇格がかなわなかった。卒団後に立命館大へ進学したのは、京都が2006年にスタートさせたスカラーアスリートプロジェクト(SAP)の対象選手だったからだ。
同プロジェクトの上限は1学年につき10人。原則として全員が進学校である立命館宇治高に入学し、さらに『RYOUMA』と命名された選手寮に入寮。入学金と授業料は奨学金として学校法人立命館が、食費を含めた寮費は京セラをメインスポンサーとする京都が全額負担するシステムがSAPとなる。
SAPのもとでは、たとえトップチームへ昇格できなかったとしても、成績次第で立命館大学への内部進学を可能とした。サッカーで夢をかなえられなかった場合も考慮して、親が大切な子どもを預けられる環境を整えたのは京セラの創業者で、京都の会長および名誉会長を務めた稲盛和夫氏(故人)だった。
昨シーズンからキャプテンを務める、パリ五輪世代のMF川﨑颯太もSAP出身の一人。卒団後に京都のトップチームへ昇格し、同時に立命館大の大学生との二刀流にも挑み続けて今春に卒業した。
そして、中野も新たな歴史を切り開いている。トップチームへの昇格を逃したSAP出身者のなかで立命館大へ進学し、サッカーを続けながらさらに心技体を磨き、京都とのプロ契約を勝ち取った最初の選手になったからだ。昨シーズンの開幕前のキャンプに参加し、内定を勝ち取った中野の現在地を曺監督はこう語る。