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セリエA 3日前

「辞めようと思ったことは…」イタリア代表、カラフィオーリの“軌跡”。EUROの主役は、絶望の淵から這い上がった【コラム】

シリーズ:コラム text by 佐藤徳和 photo by Getty Images

ローマは“宝石”を失った

ボローニャ
【写真:Getty Images】



 ユーロ2024に招集されたアッズーリでは、20歳のジョルジョ・スカルヴィーニが前十字じん帯断裂の重傷で離脱したことにより、2002年5月19日生まれのカラフィオーリが、最年少選出となった。大会2戦目で、イタリア代表を圧倒したスペイン代表を例に挙げると、カラフィオーリよりも若い選手が4人もいる。バルセロナの新星、ラミン・ヤマルに至っては、16歳の若さだ。

 イタリア・サッカー連盟(FIGC)は近年、ユース年代の強化に取り組み、2023年にU19が、今年はU17がそれぞれ欧州王者に輝いている。イタリアの育成は今や欧州のトップクラスだ。しかし、残念ながら、セリエAのクラブを見ると、イタリア人の若い有望な選手は極めて少ない。欧州サッカーの研究機関として知られるCIESの最新のレポートによると、欧州5大リーグの中で、最も自国の選手が少なく、イタリア国内で育った選手がセリエAでプレーした数は、38.7パーセントに過ぎないのだ。

 カラフィオーリの場合は、前例のないような大けがに見舞われたこともあって、”傷物”とみなされたこともあるのだろう。また、ジェノアでは、負傷も重なり、出場機会は3試合に留まっていた。だが、それを差し引いても、150万ユーロという移籍金はあまりにも僅少な金額だった。ローマはカラフィオーリの評価を完全に見誤ってしまった。ダニエレ・デ・ロッシ監督は「放出したことは、いまだに消化できない」とうなだれる。”宝石”を失ったロマニスタたちの無念さは計り知れない。

 バーセルでは、スイス・スーパーリーグに26試合に出場した実績を作り、名伯楽、ジョバンニ・サルトーリのお眼鏡にかなう。ボローニャへの移籍だ。新天地では、ローマ時代とは異なるセンターバックでプレーすることとなったが、実は、バーセル時代にもシーズン半ば以降、本来の主戦場だった左サイドバックから、CBへとポジションを移してプレーしていた。スイス人のアレクサンダー・フライ監督が2023年2月に解任されると、後任のドイツ人指揮官ハイコ・フォーゲルは、カラフィオーリを3バックの左の一角で起用した。

 ここでの経験が、ボローニャでの4バックでも活かされることとなった。

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