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「東欧最強クラブ」と呼ばれるウクライナのシャフタール・ドネツク。チーム関係者の膨大な証言を通して、知られざる流浪の英雄たちの戦いに光を当て、クラブの熱源に迫った『流浪の英雄たち シャフタール・ドネツクはサッカーをやめない』より「ブラジル人」を一部抜粋して公開する。(文:アンディ・ブラッセル、訳:高野鉄平 )
「ルチェスクは私たちにとって良い監督だった」
【写真:Getty Images】
シャフタールの「ブラジル化」がさらに進んだ2007年の夏の末、19歳の誕生日を迎えた直後にやって来たウィリアンも同じような学習曲線を辿る必要があった。
フェルナンジーニョよりも攻撃的性質の強い選手である彼にとっては、より険しい道だったのだろう。
「ルチェスクは私たちにとって良い監督だった」と彼は言う。
「彼はいつも理由を説明しようとしていた。ブラジルの選手は、ブラジルから欧州に来てプレーすると、すごく違っていてやりにくい場合もある。サッカーがまったく違っている。もっと戦術面を学ばなければならない。
彼は力になろうとしてくれたし、ボールを持っていないときのプレーについてもボールを持ったときのプレーについても(必要なことを)説明しようともしてくれた。当時あそこでプレーしたブラジル人たちにとって、彼はとても重要な存在だった」
ルチェスクは多才な選手を尊重してはいたが、いわゆる即興的な「カーニバル・フットボール」に任せるには聡明すぎた。
「私は主にボランチとして、あるいは中盤三枚の右や左でプレーしていた」とフェルナンジーニョは振り返る。
「場合によっては右WGや左WG、さらにはもっと中央で、ほぼ10番のように使われたことさえあった。
ブラジルでは何度もその位置でプレーしていたので、毎日の作業やプレースタイルに慣れることは容易だった。チームメイトともうまく合わせられて、それこそが何よりも大事なことのひとつだった」
ルチェスクのおかげで、自分のペースでやれる機会が持てたことに彼は感謝している。最終的な目標は楽しませることであるとしても、それをやれる能力を持った選手たちが自らその権利を勝ち取らねばならないというのがルチェスクの信念だった。
フェルナンジーニョが説明してくれた。
「たくさんのことを学んだ。守備のポジショニングも、ピッチ中央でどうやってスペースを埋めるかも、他の選手たちとどう連携を取るかも。特に守っているときに。
そのおかげでチーム一体となって動くことができたし、あとからシャフタールにやって来たブラジル人たちを助けることもできたと思う。そうして彼らもしっかりと順応していくことができた」
(文:アンディ・ブラッセル、訳:高野鉄平 )
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<書籍概要>
『流浪の英雄たち シャフタール・ドネツクはサッカーをやめない』
アンディ・ブラッセル 著、高野鉄平 訳
定価2,420円(本体2,200円+税)
8年間で2つのホームを失ったウクライナ最強クラブの熱源
「東欧最強クラブ」と呼ばれて久しいウクライナのサッカークラブ、シャフタール・ドネツクは、2014年以来、ホームスタジアムでプレーしていない。同年4月にドンバス地方で戦闘が開始されると避難を余儀なくされ、22年2月にはロシア軍のウクライナ本格侵攻により再度の避難を強いられた。さらに主力選手の流出など、自らの姿を見つけだす必要に迫られる普通ではない状況の中、それでもシャフタールは普通にプレーし続けている。シャフタール関係者の膨大な証言を通して、知られざる流浪の英雄たちの戦いに光を当てる。
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