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「東欧最強クラブ」と呼ばれるウクライナのシャフタール・ドネツク。チーム関係者の膨大な証言を通して、知られざる流浪の英雄たちの戦いに光を当て、クラブの熱源に迫った『流浪の英雄たち シャフタール・ドネツクはサッカーをやめない』より「ブラジル人」を一部抜粋して公開する。(文:アンディ・ブラッセル、訳:高野鉄平 )
彼らが来てからは2シーズンで2度の優勝を飾った
【写真:Getty Images】
前述の通り、ルチェスクは2004年にドネツクにやって来たあと、すぐに最初のブラジル人を獲得した。中盤に彼の望むインスピレーションを与えてくれる選手として、古巣のブレッシャからマツザレムを連れてきたのだ。翌05年の初頭には、勤勉で多才な攻撃的MFであるエラーノが続いた。
2人の加入以前には、シャフタールはクラブの歴史の中で1度リーグのタイトルを獲得しただけだった。彼らが来てからは2シーズンで2度の優勝を飾った。エラーノのほうがより実利的な補強だったともいえるだろう。
運動量豊富で印象的な仕事ぶりを見せた彼は、のちにイングランドへ移籍したのも当然だと感じられたし、シャフタールが07年8月にマンチェスター・シティから受け取った800万ポンドという金額も当時のクラブにとっては十分な金額に思えた。
それは後々、さらに大きな選手育成プロジェクトを進め、さらに大きな利益を得るための道標となるものだった。
しかし、彼らが最初の例だったわけではない。ブランドンは、シャフタールのブラジル人の中ではいくつかの点で異色の選手だった。
ターゲットマンを務める長身CFであり、上質なテクニックで知られる選手ではなく、ルチェスク就任前の2002年にやって来た選手でもあった。
それでも彼はルーマニア人指揮官のチームに欠かせない存在となり、彼を軸として、より小柄で才能に恵まれた選手たちが周囲を動き回った。
6年半にわたって在籍し、09年1月にマルセイユへ移籍するまで主力であり続けた。
ブランドンの存在は大きかった。ファンタジー・フットボールのようにチームを組み立てることは、ビジネス的にも体裁を整える上でも効果的だが、勝つためにはエッジの効いた選手もまた必要だった。
ブラジルの魔法をウクライナ・プレミアリーグの文脈に組み込もうとすると、たとえチーム重視に見えるような選手であっても、時間と教育が必要になるという問題もあった。
フェルナンジーニョは、2019年に行った『UEFAチャンピオンズリーグ・ウィークリー』の別のインタビューの中で私にこう話してくれた。
「シャフタールにやって来ると、練習の中でも試合でも、それまで以上にポジショニングを重視する必要があった。監督からはいつも、指定のポジションに居続けろと言われていた」
(文:アンディ・ブラッセル、訳:高野鉄平 )
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「美しいゲームを見せるため人々をスタジアムへ連れてくる」シャフタールが信じ続けるサッカーとは【流浪の英雄たち 第1回】
<書籍概要>
『流浪の英雄たち シャフタール・ドネツクはサッカーをやめない』
アンディ・ブラッセル 著、高野鉄平 訳
定価2,420円(本体2,200円+税)
8年間で2つのホームを失ったウクライナ最強クラブの熱源
「東欧最強クラブ」と呼ばれて久しいウクライナのサッカークラブ、シャフタール・ドネツクは、2014年以来、ホームスタジアムでプレーしていない。同年4月にドンバス地方で戦闘が開始されると避難を余儀なくされ、22年2月にはロシア軍のウクライナ本格侵攻により再度の避難を強いられた。さらに主力選手の流出など、自らの姿を見つけだす必要に迫られる普通ではない状況の中、それでもシャフタールは普通にプレーし続けている。シャフタール関係者の膨大な証言を通して、知られざる流浪の英雄たちの戦いに光を当てる。
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【了】