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フォーカス 3か月前

まさかの期待ハズレ…。海外クラブを“失望”させた歴代日本人選手6人。即戦力どころか影が薄かった男たち

シリーズ:編集部フォーカス text by 編集部 photo by Getty Images

MF:本田圭佑(ほんだ・けいすけ)

ミラン時代の本田圭佑
【写真:Getty Images】


生年月日:1986年6月13日
移籍失敗に終わったクラブ:ACミラン
在籍期間:2014円1月3日~2017年7月14日
通算リーグ戦成績:81試合9ゴール11アシスト

 イタリア屈指の名門ACミランで、本田圭佑は自身の名声を高めることは出来なかった。

 2014年の冬にCSKAモスクワ(ロシア)からミランへフリー移籍を果たした同選手は、入団会見で背番号10を身に着けてプレーすることを発表した。ルート・フリット、ズボニミール・ボバン、マヌエル・ルイ・コスタなど、エースナンバーを付けた名だたる選手たちと比較されることを恐れない、本田らしい決断だといえるだろう。

 しかし、これが日本代表MFの評価に大きな影響を与えることになる。

 ミランでは自身が得意とするトップ下での起用は少なかったが、右ウイングでの起用を中心に公式戦92試合に出場して11ゴール15アシストというまずまずの数字を残した。16/17シーズンには直接フリーキックからチームをUEFAヨーロッパリーグ(EL)出場権獲得に導く、記憶に残る美しいゴールも決めている。

 それでもレジェンドたちに並ぶことは出来なかった。今年7月、ラファエル・レオンが背番号10を身に着けるというニュースに際して、現地メディア『Daily Milan』が同選手を含む過去の背番号10たちを回想した。その記事の中で同選手は「偉大なる10番ではなかった」と低評価を下されている。

 移籍した当時のミランは非常に厳しい時期を過ごしていた。フロント内部で権力争いが起こって混乱状態にあったことに加えて、チームも低迷期。本田を獲得した指揮官マッシミリアーノ・アッレグリは同選手のセリエAデビュー戦の翌日に成績不振で解任されており、同選手は在籍した約3年半の間に4回の監督交代を経験している。決して戦いやすい環境ではなかったはずだ。

 サポーターたちは本田にそんな苦しい状況を一転させる活躍に期待したが、その期待に応えられなかったことが悪い評価に繋がっている。背番号10が同選手への評価のハードルを必要以上に上げてしまった感が否めないが、移籍した時期がミラン低迷期と重なっていたことも不運だったと言えるだろう。

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