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【英国人の視点】VARは必要なのか? 「問題は審判ではなく文化」プレミアリーグで起きた廃止の声へ抱く違和感の正体

シリーズ:コラム text by ショーン・キャロル photo by Getty Images

VARチェックのプロセスを合理化する方法

 まず、ウルブスが正しいと感じるような判定が下されたとしても、それらの判定はどれも単独では存在しないため、ウルブスが順位をもっと上げていたという保証はない。審判が異なる結論を出せば、試合の流れは完全に変わる。これは、選手、コーチ、ボールボーイなど、試合に関わる他のすべての人が下す他のすべての決断やミスにも当てはまる。

「スタジアム内で判定の妥当性に疑問を抱く人が一人もいない」ことが起こり得るという意見もまた説得力に欠ける。サッカーの試合を生で観戦したことがある人なら分かるだろうが、いかなる判定も誰か1人くらいは批判しており、たいていの場合その数は1人に留まらない。

 最後に、不誠実さの度合いをさらに高めているのが、「競技の公正さを維持する」という嘆願だ。シー氏のような人々が苦情を言うのは、自分たちが間違った判定を受けていると感じたときだけだ。もし彼らが本当に「競技の公正さ」を心配していて、自分のチームの結果や利益だけを心配しているのなら、誤った判定によって自分たちが利益を得たときにも声を上げるべきだ。

 もちろん、VARに問題がないということではない。いつどのように使用するかというガイドラインを改良する必要がある。

 たとえば、決定に至るまでの時間は往々にして長すぎる。審判は、単にルールに明らかに違反する何かがあったかどうかをチェックするのではなく、ゴールを認めない理由を探しているように見えることがある。

 プロセスを合理化する1つの方法として、各チームに1試合あたり一定数のVARチャレンジを許可し、その他のすべての判定はフィールド上の審判に委ねられるという形が考えられる。しかし、最終的には何らかの方法で審判に試合の決定権を戻す必要があり、その決定が最終的なものでなければならない。

 審判は笛を吹くたびにどちらかの側を怒らせることになる。もちろん監督や選手も大きなプレッシャーにさらされていますが、審判の決定を尊重し、自分の失敗をそらすためにそれを利用するのをやめる必要がある。そうしない場合は、それに応じて罰せられる必要がある。

 決して完璧ではないし、これからもそうなることはないだろう。審判はいつミスを犯すかわからない。コーチや選手、オーナーも同様だ。サッカー界の人々は、その事実を受け入れ、試合に臨む必要があるだけだ。

(文:ショーン・キャロル)

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【了】

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