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Jリーグ 6か月前

ガンバ大阪ポヤトス監督が称賛する山下諒也の“賢さ”とは? 「もうサッカーができないんじゃないか」から復活【コラム】

シリーズ:コラム text by 加藤健一 photo by Getty Images

横浜FCで山下諒也が経験したのは…


 日本体育大学から東京ヴェルディに加入したのが2020シーズン。ルーキーイヤーは明治安田J2リーグで欠場したのはわずか1試合、2年目も38試合に出場した。横浜FCに加入した2022シーズンも41試合に出場し、J1昇格に貢献。初めてJ1でプレーすることになった昨季も開幕から全試合に出場していたが、チームが残留争いの佳境を迎えた第29節からは欠場が続き、そのままシーズンを終えることになった。

 昨季終盤に負ったケガの影響は、ガンバに加入した今季にも及んだ。ポヤトス監督は経緯を明かす。

「横浜FCにいたときに大きなケガをしてしまい、そのケガがプレシーズンに影響してしまった。はじめはプレーしていたが、どうしても1回離脱しなければいけない状況になってしまった。ドクター、メディカルがしっかりと諒也を治してくれて、ここまで怪我なくやってくれている」

 ガンバに加入したものの、全体練習に加われない日々が続く中で、自身を「心配性」だと言う山下は「その期間はすごく心配だったし、もう2度とサッカーができないんじゃないかと思うくらいだった」と当時の心境を明かす。

 サッカー選手がサッカーをできないというのは精神的にも大きな負担となる。「毎日トレーナーと苦しいリハビリをして、気分が乗らない日もあった」というが、地道なリハビリの甲斐あって、4月20日の浦和レッズ戦でガンバでのデビューを飾る。プレータイムを伸ばしていく中でコンディションも上がり、直近3試合では先発起用されている。

 コンディションが戻った山下は、思う存分能力の高さを活かしている。武器は164cmという小柄な身体から繰り出される抜群のスピードだけではない。ポヤトス監督の言う「インテリジェンス」は、横浜FC時代に培われたものでもある。

 横浜FCでの1年目は両ウイングバックが主戦場だったが、J1に昇格した翌シーズンは1列ポジションが上がり、シャドーが持ち場になった。ボール保持を基調とするスタイルから、堅守速攻に舵を切ったことで、山下に求められる役割も変わったという。

「守備の時間が長くなるから、どうやって自分たちの時間を長くするかを考えたり、中盤の選手と話したりしていた。前に人数が足りない状況で、どうしたら自分たちの時間を増やせるか。ポジショニングやパスの強弱を考えるなかで、賢くなったと思います」

「ああいうサッカーでもがいた経験をしたことで、サッカーIQという形でいろんなものを得られた」と横浜FC時代を振り返る。それは、ウイングが持ち場となった今に生きている。

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