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怪我さえなければ…。日本の「ガラスの天才」サッカー選手(4)強烈タックルの犠牲に…。日本の「ワンダーボーイ」といえば?

シリーズ:ガラスの天才 text by 編集部 photo by Getty Images

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サッカー選手は常に怪我と隣り合わせだ。たった1つの怪我でキャリアを棒に振ってしまう選手もいれば、何度も大怪我を負いながらもその逆境を乗り越えて長く活躍する選手もいる。今回は最高級の才能を持ちながらも、怪我に苦しむキャリアを歩んだ“ガラスの天才”を紹介する。


FW:田中達也

浦和在籍時の田中達也(1982年生)
【写真:Getty Images】

生年月日:1982年11月27日
日本代表成績:18試合4得点1アシスト

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 高校サッカーの強豪・帝京高校で頭角を現した元日本代表FW田中達也も怪我によってキャリアを左右されてしまった選手の1人であろう。2001年に浦和レッズでプロキャリアをスタートさせた田中は、スピードとアジリティ抜群の切れ味鋭いドリブルで相手DFを翻弄し、2003年にはヤマザキナビスコカップ(現YBCルヴァンカップ)制覇に貢献。大会MVPとニューヒーロー賞に輝いた。

 日本代表としても2005年8月の中国代表戦で初ゴールをあげ、順調なキャリアを歩んでいくと思われた田中であったが、突如悲劇が襲う。7-0で浦和が大勝した同年10月のJ1第27節、柏レイソルとの一戦で、田中は相手のタックルを受けて右足首脱臼骨折の重傷を負ってしまった。長期の戦線離脱を強いられた田中は、ドイツワールドカップ出場の可能性も断たれてしまう。

 「ワンダーボーイ」とも称されて浦和を代表する選手であった田中は、これ以降数々の怪我に悩まされるようになり、黄金期を迎えていた浦和においてもどかしい時期を過ごすようになった。プレー時間の減少もあって2012年に戦力外通告を受け、アルビレックス新潟に移籍する。しかしここでもコンディションは安定せず、在籍9年の間にリーグ戦であげたゴールは「13」にとどまってしまった。

 Jリーグ屈指のドリブラーであった田中であったが、キャリアを通じてAFCアジアカップやFIFAワールドカップなど、日本代表として大舞台に立つことは叶わなかった。21年の長いプロキャリを通じて多くのサッカーファンから愛されていた選手であっただけに、やはり怪我が悔やまれてしまう。

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【了】

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