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日本サッカー界の「汚点」――
日本で最初に本物のクラブチームとなる可能性があった「フリューゲルス」を潰したのは誰だったのかに迫った『横浜フリューゲルスはなぜ消滅しなければならなかったのか』より、「ブラジル人トリオ獲得の『裏側』1993-1994」を一部抜粋して公開する。(文:田崎健太)
著者プロフィール:田崎健太
1968年3月13日京都市生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。
主な著書に『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、『辺境遊記』(英治出版)、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社)、『維新漂流 中田宏は何を見たのか』(集英社インターナショナル)、『ザ・キングファーザー』(カンゼン)、『球童 伊良部秀輝伝』(講談社 ミズノスポーツライター賞優秀賞)、『真説・長州力 1951-2018』(集英社)。『電通とFIFA サッカーに群がる男たち』(光文社新書)、『ドライチ』(カンゼン)、『真説佐山サトル』(集英社インターナショナル)、『ドラガイ』(カンゼン)、『全身芸人』(太田出版)、『ドラヨン』(カンゼン)、『スポーツアイデンティティ』(太田出版)。
これはフリューゲルスにとって素晴らしい取引になる
【写真:Getty Images】
ブルノロがバウベルを欲したのは、パルメイラスにリバウドがいたからだ。
前述のようにリバウドは93年にバウベルと共にモジミリンからコリンチャンスへレンタル移籍していた。しかし、94年のサンパウロ州選手権では精彩を欠き、コリンチャンスが彼の保有権を買い取らなかったため、パルメイラスへ移籍していた。モジミリン時代のようにリバウドとバウベルを中心にしたチームに再編することをブルノロは考えたのだ。
これはフリューゲルスにとって素晴らしい取引になる。坂本は興奮しながら帰路に就いた。日本とサンパウロの時差は12時間である。日本時間の朝9時にあたる夜9時を待って、全日空スポーツの丹野に電話を入れた。
「受話器の向こうの丹野さんは余程驚いたのでしょう、数秒黙っていました。パルメイラスの条件はバウベルをレンタル契約で出すこと。彼のパッセ(保有権)はフリューゲルスに置いたままで、レンタル料も支払われる。3人の移籍金からレンタル料を引いた分だけ支払えばいいと伝えました」
丹野はちょっと待ってください、また連絡しますと慌てて電話を切った。
「(全日空スポーツの社長である)山田(恒彦)さん、木村さんに相談したんでしょう。すぐに電話が掛かってきました。これからブラジル行きのチケットを手配する。土曜日の朝に到着するので、そのままパルメイラスの担当者に会えるかというんです」
ブラジルの空の入り口であるグアリューリョス国際空港はサンパウロの中心地から約25キロ北東に位置する。ロサンゼルスを経由する便は早朝に到着した。坂本は丹野と握手をして、到着ロビーにある珈琲ショップのカウンターでエスプレッソを飲んだ。これはブラジル入国儀式のようなものだ。
空港からの車内で2人は移籍金をなるべく抑える、足元を見られないように低い金額から交渉を始めることを決めた。パルマラットはサンパウロの新興商業地帯であるビラ・オリンピアのビル1棟を賃貸しており、パルメイラスのサッカー部門は1フロアを使用していた。
「パルメイラスからはブルノロの他、クラブの経理担当など3人ぐらい出てきました。こちらとしてはすでに獲得意思を伝えていたので、移籍金、その支払い方法を決めていきました。トータルで3時間ぐらいだったと思います。その後は近くでお昼を食べながら世間話をしました」
移籍成立には選手の合意も必要だ。
このときパルメイラスはブラジル全国選手権の準決勝に進んでいた。12月8日にサンパウロ市内のパカエンブー競技場で行われたグアラニとの初戦を3対1で勝利。第2戦に備えてカンピーナスのホテルに宿泊していた。カンピーナスはサンパウロ市の衛星都市の一つで、グアラニの本拠地である。
「パルマラットの人間がうまく手配して、遠征先のホテルに先に入ることにしました」
「私たちの部屋の番号をパルマラットの人間から伝えてもらったんです。最初に部屋をノックしたのはエバイールでした。エバイールは代理人がついてなくて、自分ですべてやっていました。エバちゃんは、食べ物、地震について聞いてきました。ブラジル人が沢山いるのでシュハスコ(ブラジル風バーベキュー)もある。ピザもあると答えましたね。あとは住居ですね。このときエバちゃんは独身だったんです。丹野さんは交際していた女性と日本に行き生活環境を見てもらってもいいという話もしましたね」
次に扉を叩いたのは、ジーニョだった。
「ジーニョの代理人である彼のお父さんとは電話で話をしていました。ジーニョの意思を確認して、年俸はドル払いの2年契約にすることでまとまりました」
ブラジルの通貨、クルゼイロは外貨に対して下落を続けていた。この年の7月に導入された新通貨レアルにより、インフレーションは沈静化していたが、ドルで年俸を受け取ることはブラジル人選手にとって大きな魅力だった。
残るはサンパイオだった。
(文:田崎健太)
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<書籍概要>
『横浜フリューゲルスはなぜ消滅しなければならなかったのか』
田崎健太 著
定価2,970円(本体2,700円+税)
「いつまで選手たちに黙っている気ですか?」
「このままでは危ない。チームが潰れるぞ」
関係者が初証言、Jリーグ31年目にして明かされる”真実”
日本サッカー界の「汚点」――
クラブ消滅の伏線だった「全日空SCボイコット事件」の真相。
日本で最初に本物のクラブチームとなる可能性があった「フリューゲルス」を潰したのは誰だったのか。
【了】