境界線はどこ? マンマークを徹底すれば新たな問題が起きる
名古屋のボール非保持は、固く我慢ができる習慣が素晴らしい。最後に控えるランゲラックの存在感も非常にずるい。一方で、前線の3枚の役割整理も巧みにこなしている。どんなときも1トップ&2シャドウの形で守ることはなく、相手のアンカーにマンマークをつけたり、シャドウを前に出して外切りでプレッシングを仕掛けさせたりと、こちらも多くの策を持ち合わせている。
相手コートではマンマーク、自陣に戻ったらゾーンディフェンスを基調に守備を構成することは世界中でスタンダードになりつつある。名古屋もその流れに乗っかっている気配は強いが、高さや強さで他の場所よりも弱い部分を徹底的に狙われることはマンマークのデメリットと言えるだろうか。浦和レッズで渡邊凌磨が狙われ続けるように、名古屋ではウイングバックに起用される選手によってはハイボールの的になることが見られる。
ランゲラックを中心に耐え忍ぶところはかつての楢崎正剛時代を彷彿とさせるが、問題はマンマークとゾーンディフェンスの境目にある。この問題は浦和レッズとガンバ大阪との試合で露見することになった。誰が誰のマークを決めたとして、問題は「どこまでついていくか」にある。
例えば、ある選手にサミュエル・グスタフソン(浦和)のマークの役割を与える。グスタフソンが前に上がっていく。後ろの選手に受け渡す。後ろの選手はすでにマークの役割が準備されている場合はにっちもさっちもいかない。実際には中間ポジションに立つなどで対応するのだろうけど、そのときにグスタフソンのいた場所に誰も来なければ、グスタフソンのマークを後ろの選手に渡した選手はマークの対象を失うことになる。
だったら、「どこまでもついていけばいいじゃないか!!」となるが、気がついたら永井がサイドバックの位置で相手のマークをしていましたという状況は、名古屋からすると歓迎すべき状態ではない。自分の得意とするプレーエリアから離れすぎた守備はボールを奪ったときに新たな問題を巻き起こすことが明白だからだ。