その人たちにとってクラブは、チームは人生そのものなのだ
この「横浜フリューゲルスはなぜ消滅しなければならなかったのか」は、最後に天皇杯で優勝するような素晴らしいサッカークラブがどうしてなくなってしまったのかを、田崎健太氏が膨大な数の関係者に取材し、証言を積み重ねていくことで「当時の動き」を再構成しているノンフィクションだ。
書名の「なぜ」という部分の外形的な答えならみな知っている。
フリューゲルスの出資会社の一つである佐藤工業が経営危機に陥りサッカーから手を引くと表明したところ、もう一つの出資会社・全日空が不採算事業の見直しという経営判断で「うちだけでは支えきれない」とクラブ運営から撤退する判断を下した。その受け皿として同じ横浜をホームにしていたマリノスとの合併に動くことになった。
この本は、その過程の内部で何が起きていて、関係者はどんなことを考えていたのか、そもそもフリューゲルスというチームはどういった歴史をもって横浜に誕生することになったのかを細かく記している。
山口素弘は「ぼくの中ではどこのクラブでプレーしたとしても最後はフリューゲルスのユニフォームで三ツ沢に戻るというイメージを描いていた」と語り、楢﨑正剛は提出されるメンバー表の〈前所属クラブ〉に記載される『横浜フリューゲルス』という名前を残すため、現役最後のシーズンには出場機会がなくても(次に所属した)名古屋グランパスから移籍しなかった。
ブラジル代表だったセザール・サンパイオは消滅する最後までフリューゲルスに残り、「今でもフリューゲルスの仲間と出会うとうれしい。ぼくは戦争に行ったことはないけれど、戦友というのはこういう感覚ではないかと思うことがあるんだ」と語る。
関わった選手もスタッフもそれぞれが横浜フリューゲルスというチームを愛していて、そしていくばくかの悔いを残している。
それが読むほどに伝わってくる。
横浜フリューゲルスが消滅した5年後、プロ野球の大阪近鉄バファローズが同じように球団を合併、消滅させた。
原因は同じように不採算事業を切り離したいという親会社の経営判断だった。
私には「近鉄バファローズのファン」という友人が二人いる。
バファローズが消滅して20年経つが、彼らはこの間ずっと「もう他のチームを応援する気になれない」と言い、プロ野球を遠くから、薄目で見ている。
決して大げさでなく、その様子は故郷を失った民族のように見えるのだ。
この日本には、全国のいろんな地域に、いろんなスポーツクラブがある。
栃木ゴールデンブレーブス。ヴァンフォーレ甲府。群馬クレインサンダーズ。埼玉パナソニックワイルドナイツ。東レアローズ。
国民の大多数はその競技に、そのチームに興味がないかもしれない。
けれどそのチームの試合や選手に心を揺さぶられて、人生の喜びを感じる人たちがたくさんいる。
その人たちにとってクラブは、チームは人生そのものなのだ。
著者の田崎健太は終わりで、このように書く。
「サッカーに限らず、スポーツクラブは経済学者である宇沢弘文が提唱した社会的共通資本に含まれてるとぼくは思う」
社会的共通資本とは、「ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を安定的に維持することを可能にする社会的装置」(宇沢弘文)と定義されている。
「スポーツチームはその街の公共資産」という考え方に私は深く共感する。
もちろん経済活動の側面もあるから、どこかでチームの形が変わってしまうことは仕方ないかもしれない。
それでも最後は「今後、フリューゲルスのようなクラブが出ないことを祈って」という田崎の願いと同じことを、私もこの本を読んで考えてしまうのだ。
(文:伊野尾宏之)
横浜フリューゲルスはなぜ消滅しなければならなかったのか
『横浜フリューゲルスはなぜ消滅しなければならなかったのか』
田崎健太 著
定価2,970円(本体2,700円+税)
カンゼン刊
【了】