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怪我さえなければ…。日本の「ガラスの天才」10人。苦難に見舞われた最高級の才能たちとは?

シリーズ:ガラスの天才 text by 編集部 photo by Getty Images

FW:小松原学


【写真:Getty Images】


生年月日:1981年4月2日
日本代表成績:出場無し

 小野伸二や遠藤保仁、稲本潤一らはかつて“黄金世代”としてその名をとどろかせていた。そんな彼らに混じって、飛び級で世代別代表に名を連ねていた選手がいた。小松原学だ。同年代の中で抜きん出た才能を有していた小松原は、黄金世代とともにA代表としてもプレーすることを期待されていた選手であった。

 少年時代から注目される存在であった小松原はベルマーレ平塚(現湘南ベルマーレ)の育成組織に加入すると、1998年に17歳でJリーグデビューを果たす。これは当時の最年少出場記録であった。そのシーズンのベルマーレでの公式戦出場数は5試合であったものの、大きなインパクトを世間に与えることになった。

 小松原は17歳ながら飛び級でU-19日本代表に選出され、1999シーズンにはベルマーレでも主力に定着し、J1で25試合に出場(当時のJ1は全30節)。同じくベルマーレに所属していた中田英寿と同じように、のちのち欧州でもプレーすることを予感させるような存在だった。しかし小松原は怪我によって輝かしいキャリアを歩むことができなかった。

 2000年から左足のジョーンズ骨折(疲労骨折の一種)に苦しみながらプレーを続けたことによってパフォーマンスを低下させていき、公式戦の出場が5試合にとどまった2001シーズンを最後にベルマーレを退団している。小松原は2002シーズンにヴァンフォーレ甲府に加入するも、左足のみならず右足の負傷にも悩まされて公式戦8試合にしか出場できなかった。手術を受けたが両足は万全な状態とはならず、以降Jリーグのピッチに立つことはなかった。もし怪我が無ければ、小松原は日本サッカー史にその名を深く刻む選手になっていたかもしれない。

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