フットボールチャンネル

フォーカス 7か月前

最高だったのは? 五輪サッカー日本代表、歴代最強のOA選手6人。大舞台で実力を示した大物たち

シリーズ:編集部フォーカス text by 編集部

DF:徳永悠平

徳永悠平
【写真:Getty Images】


生年月日:1983年9月25日
OA招集:ロンドン五輪(2012年)ベスト4

 ロンドン五輪のOA枠に徳永悠平が選ばれたニュースは、少々の驚きをもって迎えられた。

 右サイドバックを主戦場とする徳永は、2004年に開催されたアテネ五輪の代表メンバーに選ばれた。グループリーグ第1戦(パラグアイ戦)に出場したが、第2戦(イタリア戦)で前半途中に負傷交代。第3戦(ガーナ戦)でピッチに立つことはなく、チームはグループリーグ敗退を喫し、徳永としても不完全燃焼の幕切れとなってしまった。
 その8年後、徳永にはアテネ五輪での雪辱を果たすチャンスが舞い込んでくる。アテネで戦ったDF吉田麻也とともにロンドン五輪のOAに招集されたのだ。徳永が日本代表の主力選手ではなかったことから意外性のある選出だと受け止められたが、同選手を選んだ関塚隆監督の判断は見事だったと言えるだろう。定位置の右SBだけでなく左SB、センターバックでも起用可能であるため、スカッドに徳永がいれば戦術の幅が広がるとともに、様々な事態に対処できる。

 いざ大会が始まると、当時28歳だったユーティリティープレイヤーは左SBとして起用された。グループリーグ初戦のスペイン代表戦では90分フル出場して、MFフアン・マタやイスコを擁する攻撃陣をシャットアウト。相手が退場により1人少なくなったことも幸いし、粘り強く守って1-0の完勝を収めた。

 グループリーグ3試合無失点で迎えた、準々決勝(決勝トーナメント1回戦)のエジプト代表戦では、当時20歳のFWモハメド・サラーと対峙。のちにワールドクラスの選手となるスピードスター相手の守備は簡単ではなかったが、堅実なディフェンスで決定的な仕事をさせなかった。3-0の完封勝利で準決勝への切符をもぎ取っている。しかし、その後のチームは残念ながら準決勝、3位決定戦で敗れ、ベスト4という成績でロンドンを後にしている。

 最終的にメダル獲得という夢は叶わなかったものの、ロンドン五輪で徳永が果たした役割は大きい。そのプレーで若いチームに落ち着きと勇気をもたらした。ミスが許されない国際大会で準決勝まで無失点という記録が何よりの証拠だろう。

1 2 3 4 5 6

KANZENからのお知らせ

scroll top
error: Content is protected !!