チアゴ・モッタの影で躍進を支える男とは?
【写真:Getty Images】
すぐには結果が出なかったが、前任者の3バックから4バックにシステムを変更し、高い位置からのプレスで攻撃的なサッカーを展開。インテルには、1-0で勝利するなど、上位陣相手にも勝ち点を奪って9位でフィニッシュ。勝ち点3制が導入されたリーグになってからのクラブレコードとなる勝ち点54を記録した。
そして、T・モッタ体制の2年目。インテルに移籍したオーストリア代表CFマルコ・アルナウトビッチの代役として、U-21オランダ代表ジョシュア・ザークツィーを獲得した。すると34歳のベテランFWから22歳のFWへの若返りが大成功。今季10得点をマークの新鋭FWにはシーズン中から、ミランやマンチェスター・ユナイテッドなど、国内外からの関心が集まり、移籍市場を賑わす存在となっている。個々の活躍も、チームの成功も、T・モッタの功績であることは異論がないだろう。
しかし、ボローニャの勢いが止まらなくなってきたころからか、イタリアメディアは、ボローニャの躍進の影に、初老の男がいることを報じた。その名は、ジョバンニ・サルトーリ。
2022年5月31日、ボローニャは、その日65歳となったサルトーリをテクニカルエリア部門の責任者として迎えることを発表した。サルトーリは、ロンバルディア州ローディの生まれだ。そこは、ローラーホッケーというあまり聞き慣れないスポーツが盛んで、中央駅前には、スティックを手に持つ人物の銅像が設置されている異質な町。彼は、口数は少なく、ポーカーフェイス。決して声を荒げるようなタイプではなく、見るからに穏やかだ。
就任会見での記者からの質問に一つ一つ真摯に答える姿が印象的だ。現役時代は、ミラン下部組織出身で、チームが10度目のスクデットを獲得した78/79シーズンに、セリエAの7試合に出場。FWであったが、得点はなかった。
それ以降、主戦場は下部リーグに移り、1984年からインテレッジョナーレリーグ(当時の5部リーグ)のキエーボに所属。得点源であったものの、チームがセリエC2(当時の4部リーグ)に昇格してからは、ゴール数が激減し、チームがセリエC1(当時の3部リーグ)に昇格を決めた88/89シーズン終了後、ルイージ・カンパデッリ会長から、“肩叩き”にあう。「現役を退かなければならない。君にはやってもらいたいことがある」。
戦力外通告を通じられると同時に、テクニカルスタッフ入りを提案された。ジャンニ・ブーイ監督の補佐を2年間担い、新たに提示された役割が、同クラブのスポーツディレクター。それは、カンパデッリ会長が急逝する2日前のことだった。