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「名選手、名監督にあらず」という言葉があるように、サッカー選手として優れていたからといって、優れた指導者になるとは限らない。愛する古巣を崩壊させてしまう、そんなケースもしばしばだ。今回は監督としては大きな成功を収められなかった日本代表クラスの元Jリーガーたちを紹介する。
小倉隆史(元日本代表FW)
生年月日:1973年7月6日
主な監督歴:名古屋グランパス(2016)
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現役時代「レフティーモンスター」の異名をとった元日本代表FW小倉隆史だが、監督としては名声を高めることはできなかった。
1992年に名古屋グランパスへ加入した小倉は、オランダへのサッカー留学を経験したのち、1994年に名古屋へ復帰。翌1995年には、アーセン・ヴェンゲル新監督の元で躍動し、セルビア代表FWドラガン・ストイコヴィッチと共に天皇杯優勝に貢献した。
順風満帆なキャリアを歩むかに思われたが、1996年に右足後十字靭帯断裂の大怪我を負ったことでその輝きを失うことになる。名古屋では最終的に公式戦112試合に出場して、29ゴールをあげる活躍を見せたが、この負傷以降は目立った数字を残すことができなかった。
そんな小倉は、2015年6月にゼネラルマネジャー(GM)補佐として古巣・名古屋に復帰する。そしてクラブが「改革元年」と位置付けた2016年には、「GM兼監督」という大役を任された。が、この人事がクラブ史に残る大失敗を招く。
名古屋は開幕からまずまずの滑り出しとなるが、5月から状況が暗転。1stステージ第11節のヴィッセル神戸戦から勝てない時期が始まると、2ndステージ第9節まで白星なしという泥沼の状況に陥った。この結果を受けて、小倉が「8月23日をもって休養する」ことがクラブから発表され、レフティーモンスターの監督挑戦はわずか7ヶ月で幕を閉じた。
その後、名古屋は後任のボスコ・ジュロヴスキー監督の元で勝ち点を積み重ねたが、時すでに遅し。最終節・湘南ベルマーレ戦に敗れたことで、クラブ史上初となるJ2降格が決定した。
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