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1993年に開幕したJリーグでは、数多くの外国人選手がプレーしてきた。見事な活躍をしてクラブの目標達成や発展に貢献した助っ人がいるが、期待に応えられず、ほとんどピッチに立つことなく日本を去った選手も少なくない。今回は、横浜F・マリノスで活躍できなかった外国籍選手を6人紹介する。※成績は横浜F・マリノス在籍時のもの。
MF:イゴール・ヨビチェビッチ(クロアチア)
生年月日:1973年11月30日
在籍期間:1999年7月〜同年12月
Jリーグ成績:1試合0得点
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イゴール・ヨビチェビッチは、1999年に横浜F・マリノスに加入したが、公式戦出場はわずか1試合だった。
クロアチアの名門ディナモ・ザグレブで育ったヨビチェビッチは、「次代のズボニミール・ボバン」と若き日に注目されたタレントで、1991年からレアル・マドリードの下部組織に移っている。
しかし、1995年にU-21クロアチア代表でプレーした際に重傷を負って約1年間の離脱になると、母国のNKザグレブでのプレーを経て、1999年夏にテスト生として横浜FMに加入した。日本でもポテンシャルを発揮することはできず、シーズン終盤の清水エスパルス戦に85分から出場しただけだった。その後も様々な地を渡り歩いたヨビチェビッチだが、若手時代の輝きは戻らずに、2004年に現役を引退。現在はサウジアラビアのアル・ライードで監督を務めている。
スペインメディアの『アス』で2020年にヨビチェビッチが語ったところによると、レアルでトップデビューがなかったのは、契約の問題だった。レアルがディナモ・ザグレブに移籍金として支払ったのは100万ユーロ(約1億4000万円)程度だったものの、トップチームでデビューした際に高額の追加料金が発生する契約だったとのこと。「私はレアルへ行ったとき17歳で、契約のことは知らなかった」と当時を振り返っていた。