五輪を逃した女子サッカーが経験した「冬の時代」
前年の年末にレジェンドの澤穂希が現役を引退。世代交代の過渡期にあったチームにおいて、黄金時代を担ったメンバーを突き上げる選手が現れなかったのが敗因だった。五輪出場を逃した責任を取る形で、2008年からなでしこを率いてきた佐々木則夫監督(現日本サッカー協会女子委員長)が退任した。
まばゆい輝きを放ち続けた、ひとつの時代が終焉を迎えた残酷な瞬間に立ち会っただけではない。その後に訪れた女子サッカーの「冬の時代」も、山下は身をもって経験している。
「スタンドにお客さんが入っているかどうかは、目に見えてわかる。選手からしてみれば、注目されていないと感じましたし、だからこそ、結果を残さないといけないと自分自身に言い聞かせてきました」
高倉麻子前監督のもとで臨んだ2019年の女子ワールドカップはベスト16で、2021年の自国開催の東京五輪はベスト8でそれぞれ敗退。再び注目を集める状況を作り出すには至らなかった。
東京五輪後には日本女子サッカー界が待ち焦がれた、プロのWEリーグがスタートした。山下も日テレ・東京ヴェルディベレーザからINAC神戸レオネッサへ完全移籍。チームは初代女王として歴史に名を刻み、長丁場のシーズンをわずか7失点におさえた山下も栄えある初代MVPに選出された。
しかし、5000人を目標に掲げたWEリーグの1試合あたりの平均観客数は、1年目の1560人から2年目は1401人へさらに減少。コアなファン・サポーター以外にはほとんど認知されていない状況に、山下をはじめとする、日本国内でプレーする選手たちが危機感を募らせても無理はなかった。
ここでパリ五輪出場を逃してしまえば、日本の女子サッカーはどうなってしまうのか。リオ五輪後を知る山下のなかで、危機感がいつしか恐怖心へと変わった理由が痛いほどよくわかる。