“ツテ”などない。ゼロから築き上げたオランダでのサッカー生活
「そんなに簡単なことじゃないよと、両親からはまず言われました。両親も海外で生活していましたし、ましてやサッカー選手として食べていくとなれば、なおさら大変だとも言われました。それでも最後は快く送り出してくれて、オランダに渡った後もサポートしてくれました」
もちろん、つてなどはいっさいなかった。オランダのエールディヴィジ、エールステディヴィジの全クラブへ練習参加を希望するメールを、自身のプレー映像を添付した上で送った。
OKの返信が届いたのが当時エールステディヴィジのドルトレヒト。トップチームではなく、24歳を上限とするセカンドチームで、まずは無給のアマチュア契約を結んで挑戦をスタートさせた。
「最初はプロ契約という話もありましたけど、オランダのサッカーに慣れることと、体を作り直すことを課題としてあげられました。1年目はそれらにしっかりと取り組んで、2年目には自分のなかでトップチームに昇格できる感覚がありましたが、ドルトレヒトがエールディヴィジに昇格したことで逆に上がれなくなりました。いろいろなことがあったなかで、メンタル面もかなり鍛えられました」
オランダでの最初の日々をこう振り返る際は、当初はサイドハーフやウイングが主戦場だった。そして、セカンドチームの2年目になると、チーム事情もあって右サイドバックへコンバートされる。これが大きなターニングポイントとなり、シーズン終了後の2015年6月に念願のプロ契約を結んだ。
ドルトレヒト、そしてカンブールとエールステディヴィジでプレーしながら力を蓄えた際は、後者で38試合に出場した2018/19シーズンにはリーグの年間ベストイレブンにも選出される。そして2019年7月にはズヴォレへ完全移籍。エールディヴィジでのチャレンジをスタートさせた。
しかし、ズヴォレでは膝の故障もあり、3年目の2021/22シーズンにはリーグ戦の出場が7試合にとどまった。エールディヴィジに昇格していたカンブールに再び移った2022/23シーズンは、リーグ戦で24試合に出場。復活を果たすもチームがエールステディヴィジへ降格したために退団した。
昨秋に加入したNECでは、公式戦の出場が6試合と思うように出場機会を得られなかった。ウインターブレーク中にはドイツのクラブのトライアウトも受けていた際は、オファーを受けた川崎を新天地に選んだ。いわゆる逆輸入での移籍を決めた理由は、神戸戦後のコメントからもうかがえる。