遡ること8年前…。幻に終わった日本でのキャリアのスタート
「名前が長く、はじめは覚えづらいかもしれませんが、まずはSAIで覚えていただければ幸いです」
名前の「際」で覚えてほしいという思いも込めて、背番号も語呂を合わせる形で「31」にした。端正なマスクに加えて流暢な英語も操り、日本語による受け答えでも含蓄のある言葉を残す際は今年6月に30歳になる。その存在が日本国内で報じられ始めたのは2016年3月だった。
その年の夏に開催されるリオ五輪出場をすでに決めていた、U-23日本代表が臨んだポルトガル遠征。チームを率いていた手倉森誠監督は、怪我人が続出して手薄になっていた右サイドバックに、エールステディヴィジのドルトレヒトでプレーしていた当時21歳の際を大抜擢した。
トータルで13文字を擁する名前もあって、当時のメディアはサプライズ招集をこう報じた。
「とんでもなく長~い名前の秘密兵器」
リスボンで行われたU-23メキシコ代表戦で右サイドバックとして先発。70分までプレーした際は、ガーナのフル代表をベストアメニティスタジアム(現・駅前不動産スタジアム)に迎えた、5月の国際親善試合にも続けて招集され、オランダでプロになってから初めて日本へ凱旋した。
ただ、ガーナ戦では最後まで出場機会は訪れなかった。続く同月下旬のトゥーロン国際大会では全4試合に先発出場したものの、五輪代表メンバー発表前で最後の一戦だった6月のU-23南アフリカ代表との国際親善試合には招集されなかった。
応援する立場でリオ五輪を終えた際は、ヴァイッド・ハリルホジッチ、西野朗、森保一と監督が変わったフル代表にも現時点で無縁。つまり、プロになってから初めて日本でプレーする姿を見せた神戸との一戦で、決勝ゴールを決めたヒーローとして華やかなスポットライトを浴びたわけだ。
敵地・済南で13日に行われた、山東泰山(中国)とのAFCチャンピオンズリーグ(ACL)決勝トーナメント1回戦ファーストレグの後半終了間際から途中出場。新天地・川崎での第一歩を記していた際は、日本国内におけるデビュー戦となった神戸戦をこう振り返っている。