低迷する東京ヴェルディと森田晃樹の少年時代
J1昇格を大きく手繰り寄せる同点ゴールを、必ず決めてくれると信じて見守っていた森田は何度もガッツポーズを作り、そして殊勲の染野に声をかけた。万感の思いを込めて「ありがとう」と。
「背後への抜け出しからPKを獲得するまでのプレーも素晴らしかったし、ものすごく大きなプレッシャーがあるなかで決め切ったのも素晴らしかった。染野選手には本当に称賛を送りたいですよね」
幼少期を愛知県名古屋市で過ごした森田は、東京都内への引っ越しとともに、より高いレベルでサッカーを続けられる環境を求めてヴェルディのジュニアのセレクションを受けて合格した。当時は小学校3年生。2009年という時期が、森田とヴェルディとを結ぶ運命の糸を象徴している。
2008シーズンのJ1リーグで17位に終わったヴェルディは、2度目のJ2降格を喫した。そして、森田が下部組織入りした2009年からいままで、J2から抜け出せない戦いを余儀なくされてきた。J1復帰どころか2014シーズンは20位、2016シーズンには18位とJ3降格がちらついている。
その間の2009年9月には日本テレビが経営から撤退。翌年には経営危機が表面化し、一時はJリーグが運営した時期もあった。同年からメインスポンサーを務めるゼビオホールディングスが2020年の年末に出資比率をアップ。ヴェルディを同社の連結子会社化して、いま現在に至っている。
森田自身は2013年に中学生年代のジュニアユース、2016年には高校生年代のユースへ順調に昇格。ユースの最終年だった2018年には、2種登録選手として天皇杯にも出場している。
2019シーズンから正式にトップチームへの昇格を果たしたなかで、ヴェルディの歴史もよく見聞きしてきた。2000年生まれの森田は、黄金時代を築いたヴェルディ川崎時代の黎明期をもちろんリアルタイムで経験していない。低迷期に入りかけた2000年代の戦いも、ライブでは見た記憶もない。
「ただ、ヴェルディ(のアカデミー)に入ったときから、大勢のOBの方から『ヴェルディはJ1にいるべきチームだ』と教えられてきたというか、そのような話をずっと聞いてきました」
こう振り返った森田は昨シーズンのオフに、名門クラブの歴史を背負う覚悟をさらに強めている。