ユベントス 最新ニュース
選手、そして監督として、数えきれないほどの伝説を残してきたジネディーヌ・ヤジッド・ジダン。そんな不世出のスターに816ページというボリュームを費やした研究書『ジダン研究』(陣野俊史著)が10月13日に刊行された。今回は同書より、ジダンの選手キャリアの大きな転機となるユヴェントス移籍にまつわる「第一章 家族の肖像より ユヴェントスへ」から一部を抜粋して公開する。(文:陣野俊史)
「子どもの頃からの夢だった」
1996年、EUROイングランド大会が終わると、ジネディーヌ・ジダンはイタリアのユヴェントスFCに移籍する。トリノに拠点を置く、イタリアを代表するクラブである。愛称は「老婦人」。結論から言えば、ジダンは2001年までの5年間をユヴェントスで過ごすことになる。この時期のジダンは、サッカー選手として最高の時間を過ごしたと言えるのではないか。ユヴェントスは常勝軍団としてイタリアのみならず、ヨーロッパに君臨した。フランス代表としても、1998年にはワールドカップで優勝、2000年にはEUROでも優勝し、無敵を誇った。頂点を極めた5年間である。
【『ジダン研究』の詳細・購入はこちらから】[PR]
ユヴェントスへの移籍会見は、EURO96の準備のためにフランス代表が集ったクレールフォンテーヌで開かれた。5月24日のことだった。すでに述べたように、ジダンはこのとき、自動車事故によって顔面に怪我をしていた。にっこり笑って怪我は大したことではない、と否定しつつ、ジダンは多くのマイクを前にしてこう語っている。「ユーヴェへ行く決心をした。まだサインはしていない。すべてはEUROの終わりには片づくことだろう。だがすでに規定どおりに動いている。あれほどのクラブでプレーすることは、子どもの頃からの夢だった※151」
※151 Blanchet & Fraix-Burnet, op. cit., p.96.
正直に言えば、あまり面白味のない会見の言葉ではある。ありきたりの、平凡な言葉。たいていのサッカー選手同様、ジダンの会見はそうした言葉に覆われている。だがときどきそうした外貌とは別に、言葉はふいに地金をあらわにすることがある。え、いま、何て言った? と聞き返したくなるような、不意を突く言葉だ。そんな言葉を触れるために、ジダンの会見には人が群れる。だが、この日の移籍にまつわる言説に魅力は乏しかった。ユヴェントスへの期待のみ。
イタリアへの移籍は寂しくなかったわけではない。ボルドーでの愉しい日々は終わりを告げた。結婚し、長男が生まれた場所から離れなければならない。この移籍に関する様々なエピソードのなかでもっとも興味深いのは、ペゴマ時代にジダンが下宿していたエリノー一家のリアクションだろう。
エリノー家の長男ドミニクが料理人となり、ニューカレドニアのヌメアに移住、一家もそれに伴ってフランスの海外県であるニューカレドニアに移り住んでいた。一家のリヴィングの電話が鳴る。懐かしいジダンの声は、ユヴェントスへの移籍を告げていた。「ユーヴェとサインしたよ!」の声に、一家は大騒ぎになった。※152
※152 パトリック・フォール&ジャン・フィリップ『ジダン 物静かな男の肖像』(小林修訳、阪急コミュニケーションズ、2010年)、143頁。
<書籍概要>
陣野俊史 著
定価:4,400円(本体4,000円+税)
不在によって存在を語り、黙することによって饒舌に語るジネディーヌ・ヤジッド・ジダンの底知れない「内面世界」
ジダンの言葉は、いつも少し足りていない。だからこそ私たちはジダンに向けて、彼の言葉の余白に向けて、言葉を紡いできた。足りない何かに届きたいと思ってきたのだ。それが本書である。――「はじめに~ジダニスト宣言」より
【了】