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海外含む6度の移籍、大怪我、W杯…。齋藤学は酸いも甘いも、すべて経験してきた。そんな波乱万丈なキャリアを、齋藤自身はどう見ているのか。今年33歳となった同選手に、赤裸々に語ってもらった。今回は一部を抜粋してお届けする。(取材・文:藤井雅彦)
【写真:Getty Images】
「24歳であの完成度では足りない」
6度の移籍とは反対に、あえて動かない決断も。
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それは2013年末のこと。ドイツ1部のヴォルフスブルクから正式オファーが舞い込んだ。悩み抜いた末、横浜F・マリノスに踏みとどまる。左足首の負傷が大きな要因だった。
「ドイツで左足首の遊離軟骨除去手術を受けて、そこでリハビリするイメージが湧きませんでした。その時の自分は海外移籍のことばかりを考えていたけれど、最後の最後で冷静な判断を下せたのかなと。
足首が悪い状態で通用する自信がなかったですし、あの時の自分は未熟だったと思います。21~22歳なら勢いで行っても良かったかもしれないけど、24歳であの完成度では足りない。ドリブルで仕掛けることしかできませんでしたから。それ以外の部分は能力のある先輩たちにやってもらっていました。だから後悔はありません」
負傷といえば、2017年9月の右ひざ前十靱帯損傷で長期離脱を余儀なくされた。選手生命を脅かしかねない大怪我で、翌年4月の復帰後も本来のキレを取り戻せずに悶々とした日々を過ごす。
「膝の怪我は、体のバランスを変えてしまう。フロンターレに移籍してから復帰して、ドリブルをしていても自分の感覚に噛み合ってこない。みんなから求められるキレのあるプレーができないもどかしさがありました。それなら自分を変えないといけない。だからサッカーを徹底的に勉強し直しました。本をたくさん読みましたし、ボールの蹴り方や止め方に始まり、顔の振り方や手の使い方、グループ戦術でも攻撃への人数のかけ方、守備の立ち位置など、全部を見直しました」
ドリブルがサッカーのすべてではない。変化を受け入れ、新たなストロングポイントを磨いていく。ここでも根底にあるのはフォア・ザ・チームの精神で、20代後半という本来ならば最も脂が乗るはずの時期にスタイルチェンジを模索したからこそ今がある。
(取材:文:藤井雅彦)
【この記事はインタビューを一部抜粋したものです。記事全文では齋藤学選手が自身の波乱万丈なキャリアを赤裸々に明かしています】
【了】