なぜ鈴木準弥は町田ゼルビアで活躍できたのか
鈴木は自身に矢印を向けて「東京で活かしてもらえなかったというよりは、やっぱり自分自身を表現しきれなかったというほうが表現としては正しい」と、過去を反省していた。
アルベル監督やピーター クラモフスキー監督に対して長所や個性の強さを表現しきっていた選手が試合に出ていたが、自分は自分を表現しきれなかった──それは東京に加入当初、当時の長谷川健太監督に対して「がむしゃらに自分のよさを出していこうと思って出せていた」という記憶があるからこそ思うこと。練習なり練習試合なり公式戦で 監督やチームメイトに対する自分の表現が足りなかったことが印象として残ったのだと考えたからこそ「町田に来て一発目の印象はすごく大事だなと思った」鈴木は、最初の一週間にかけた。
「本当に一つひとつのプレーに集中して、信頼できる人間なんだなと思ってもらえるように意識して入りました」
たとえば黒田剛監督は守備面で選手個々にあるべき身体の向きを求めていると理解すれば、そこを早く習得し、その結果を練習で周囲にしっかりと見せようということを意識した。また、ボール状況さえよければ積極的にアクションを起こす受け手の選手たちが多く揃っていることを意識して、多種多様なキックを駆使して出し手になることも意識した。
チームが提示する要求を咀嚼し、自らの強みも出す。この過程で、鈴木は短期間にレギュラーを奪取した。そこに、東京で苦しんだ経験が活きていた。町田の関係者は東京の練習試合もチェックしていたというが、あらためて実際の現場で能力を示すことで、獲得が正しかったと証明することが重要だった。
だが移籍後すべてが順風満帆であったわけではない。第38節ヴァンフォーレ甲府戦では先発から外れ、奥山政幸に3バックの右のポジションを奪われている。これは強い刺激になったという。