北澤豪(きたざわ・つよし)
生年月日:1968年8月10日
招集歴:1991年4月~1999年6月
日本代表通算成績:58試合3得点
1993年のJリーグ開幕、ワールドカップ出場を逃した「ドーハの悲劇」、そして4年後にワールドカップ出場権を掴んだ「ジョホールバルの歓喜」、日本サッカーは90年代に右肩上がりで成長していく。北澤豪はこの時代に輝いた代表的な人物の1人だった。
4年間プレーした本田技研では日本サッカーリーグ得点王に輝き、91年に読売クラブ(のちのヴェルディ川崎、現東京ヴェルディ)に加入する。同年4月には日本代表デビューを飾り、ドーハの悲劇をベンチで経験することに。ジョホールバルの歓喜と呼ばれたイラン代表戦でも先発出場し、ワールドカップ出場に貢献した1人となった。
日本代表は最終予選を4-4-2の布陣で戦っていたが、岡田武史監督は大会前に3バックへの変更を決断する。中盤の枚数が減ったことで北澤はポジションを失った。日本代表のために走り続けたダイナモはワールドカップの舞台に立つことなく、日韓ワールドカップが行われた2002年にスパイクを脱いでいる。