フットボール批評オンライン 特集記事
8月28日、AC長野パルセイロはシュタルフ悠紀監督を解任したことを発表した。就任2年目の今季は松本山雅FCとの信州ダービーに勝利し、J3優勝という目標に近づいたかに見えたが、そこから大きく失速してしまった。コンセプトを植え付け続けてきたシュタルフ監督のチームに一体何が起きていたのか。本人の言葉に耳を傾けたい。(取材・文:木崎伸也/本文10212字)※全文を読むには記事の購入が必要になります。
1年9カ月。長野を去ったシュタルフ悠紀
歴史的勝利の先に待っていたのは、想像もしなかった解任劇だった。
シュタルフ悠紀体制2年目となる今季、長野パルセイロは序盤において大躍進を遂げた。5月7日、天皇杯の代表決定戦を兼ねた長野県サッカー選手権決勝において、パルセイロは松本山雅にPK戦の末に勝利。信州ダービーにおける15年ぶりの勝利だ。
そして5月13日に行われたJ3第10節において、2対1で松本山雅に勝利してダービー2連勝。Jリーグの舞台で松本に勝利するのは初めてのことである。パルセイロはJ3の首位に立ち、シーズン前に掲げた「J3優勝」という目標に向けて大きく前進した……と思われた。
しかし、そこから大スランプに陥ってしまう。第11節に沼津に0対1で惜敗したのを皮切りに、リーグ戦は9試合勝ちなし(3分6敗)。第20節に相模原に1対0で勝利してトンネルを抜けたかと思われたが、その過程ですでに強化部は監督交代に動いていたのかもしれない。第22節に勝利したものの、第23節から2連敗する連敗するとシュタルフ監督は解任されてしまった。
ダービー勝利でJ3の首位に立ってから解任されるまでわずか約3カ月――。いったい何が起こったのだろう? シュタルフにオンラインでインタビューを行った。
賢守の真意と「間違った伝わり方」
――解任直後でいろいろな思いを抱えていると思うのですが、まずは今季うまくいった部分から聞かせてください。J3の序盤戦では5-1-3-1と表せるような特殊な陣形をつくり、プレスがめちゃくちゃハマっていましたね。1トップ、1.5列目の3人、アンカーが十字架のような形をつくって中央を封鎖し、サイドにパスが出たら後ろからDFが猛ダッシュで上がってボールを奪う場面が何度も見られました。
「戦術の話をすると相当長くなりますよ(笑)。簡単に背景から説明すると、J3だけではなく日本サッカー全体に言えることなんですが、運動量を惜しまずボールを追いかけ、相手をサイドに追い込んでミスを誘うという守備が主流だと思うんですね。
これだとアタッカーに負担がかかり、攻撃に転じた際に心拍数が上がったままになってしまい、どうしてもフィニッシュの質が落ちてしまう。昨季のパルセイロもまさにそれに苦しみました。
こういう守備をしながらたくさんゴールを決めるには、(YS横浜で一緒だった)浅川隼人(現奈良クラブ)のように心拍数が上がった状態でもゴールを確実に決め切れるフィニッシュの質が高いFWが必要不可欠であり、勝ち続けるためには多くのチャンスが必要になる。でも最近は5バックで後方を固めるチームが増えてきた。4バックのチームも先制したら最後は5バックにする場合もある。運動量頼みの守備では、優勝や昇格に手が届かないと考えました。
『走って戦って頑張るサッカー』は見た目の印象はいいんですが、いい試合をしているけどあと一歩届かないサッカーになる恐れがある。そこで今季、『賢守』というキーワードを掲げ、賢く守るサッカーを志向しました。
ただし、『賢守』といっても走らないで奪うわけではないですよ。適切な場面でスプリントや運動量を効率的に使うということ。一部の方には『走らないで奪う』という間違った伝わり方をしてしまったようで、チームが批判される1つのエラーになってしまったかもしれません。
走行距離のスタッツを見ると、パルセイロはJ1のチーム以上に走っていたんですよ。なのに『走らない』という印象を与えてしまったのは、『賢守』という言葉選びにミスがあったかもしれません」
松本山雅との信州ダービーに勝利。「賢く守る」メカニズム
――5-1-3-1という特殊な陣形による『賢守』は、具体的にはどんな守備なのでしょうか?
「1.5列目に3枚置くことによって、割と簡単に中へのパスコースを遮断できる。それによって相手のサイドバックやサイドの低い位置にいる選手にボールが流れやすい状態をつくることができます。
一般的な守備のやり方だとサイドに追い込むのにエネルギーを使いますが、僕たちは中央を効率的に閉めてそれを実現しました。
そして相手のサイドバックにボールが出たら、こちらのウイングバックが上がって正面からぶつかる。もしくはアンカー脇のところにボールを誘い込んで、そこにパスが出たら3バックの選手が上がって正面からぶつかる。このセンターバックの動きを『シャトル』と呼んでいました。
アンカー脇のスペースが空いているように見えますが、そこへ誘い込む作戦だったわけです。シーズン中、一部の人たちから『なぜアンカー脇のスペースを修正しないんだ』という声が聞こえてきましたが、そこにボールを入れさせるというプランだったんです」
――松本に勝利したダービーでは、まさにそのプランがうまくいっていましたね。後ろから上がってきたDFがバチっと当たってボールを奪っていました。
「選手には技術や戦術理解などいろいろな能力がありますが、パルセイロはデュエルという部分では真っ向勝負を挑んでも、J3で優位に立てるチームではないんです。
とはいえ、チーム内にもデュエルに強い選手はいる。そこで彼らのところにボールが集まるような構造にし、彼らが前向きにボールへアタックできるようにすればいいと考えました。同時に背後をカバーできる選手も置いた。その適材適所が賢守のからくりです。シーズン前の準備期間にとにかく熟練度を上げました」
――前からプレスをかけるときの形について聞きましたが、後ろに引いたときはどんな形になるのでしょうか?
「奪いに行くときはDFが1人前に出るので最終的には2人目のボランチとして前向きでアタックできる4-2-3-1みたいな形になるんですが、後ろに引いたときはDFを押し出さずにそのまま5-3-2の形にしていました。
ただし、低い位置で陣形を構えたときも、ボールの奪いどころや跳ね返る場所を同じくサイドとアンカー脇のところに設定していました。そうすればボールを奪ったあとの攻撃の形を、ボールを奪う高さに応じて変えなくていいからです。
さらに言えば、攻撃におけるビルドアップの出口も、奪いどころと同じ場所にデザインしていました。その付近で誰かがフリーでボールを受けたら、一気にスピードアップして攻める。つまりボール奪取によるカウンターと、相手を引きつけてパスではがす擬似カウンターが、同じ場所からスタートするようにしていたというわけです。
奪ってからのスピード感と、ビルドアップでブレイクしてからのスピード感は、かなりチームに植え付けられていたと思いますし、それがリーグ屈指のファーストアタックとしてもスタッツに現れていたと思います。」
信州ダービーで用意していた「秘策」
――ウイングバックもしくはセンターバックが前向きに出て奪ってカウンターを発動させるということですが、ビルドアップでどうやって同じ出口をつくっていたのでしょうか?
「ビルドアップの出口で誰がボールを受けるかは、5バックからの可変で相手との噛み合わせで変えていました。松本とのダービーに関して言えば、事前に『20分になったらベンチのサインでビルドアップのやり方を変える』と伝えていました。最初の5分はシンプルに背後を狙い、そこから15分は三田尚希で、次の15分は佐藤祐太、残り時間は相手を見てどうするかを決めたんです。
なぜ20分に設定したかと言えば、それくらいの時間帯に相手が慣れてくると予想したから。松本は霜田正浩監督になってからある程度プレッシングに出てくるようになっていたので、ちょっとしたズレを生じさせて捕まりづらくした。
プランAがうまくいかないときに、異なる可変が得意な選手をベンチから投入してパターンBに変えるということもありました」
――賢く守り、賢く攻める戦術がパルセイロを首位に躍進させたわけですね。かなり斬新な守備のやり方だと思うんですが、準備段階で選手たちに戸惑いはありませんでしたか?
「そうですね、プレシーズンの段階では戸惑いはあったと思います。僕と付き合いの長い選手はすぐに意図をわかったと思うんですが、新加入選手は馴染むのに時間がかかったかもしれません。冒頭で触れたように、日本サッカー界ではとにかく走るのが守備だと思われている。がむしゃらに走っている方が頑張っている感も出ます。
だから最初は『もっと行けるのに、なんで行かないのか』みたいな感じがあったでしょう。しかし、プレシーズンの練習試合を通して『このやり方だとやられないし、攻撃の力を蓄えられるぞ』と実感してもらえた。実際にダービー勝利までは決定力もリーグ1位だったと思いますし、得点率も1.9とパルセイロがJ3にいた10年間で一番得点が取れていました。
上のカテゴリーと非公開で練習試合をした際、失点数が本当に少なかったんですよ。ボールを持たれても失点せず、なおかつカウンターで攻撃のスピード感をすごく出せた。
ただ、今振り返ると、落とし込み切れなかったと思うのはメンタルの部分です。苦しくなったときや選手交代を余儀なくされた時に同じことを続けられるかといったら、必ずしもそうではなかった。
先制されたらどうしても焦りが生まれ、奪いに行かなきゃという思いが強くなりすぎてしまうことがあった。そうすると全体が間延びしてコンパクトではなくなり、奪いどころにボールが入ってきても最終ラインとの距離があって潰しきれない。
途中交代の選手についても、似たメンタルの現象が起きたことがありました。途中から入るとフレッシュですから、自分はこれだけ走れるとアピールしたくなって無駄に走ってしまう。その典型が第23節の岐阜戦です。1対2で折り返したんですが、どうしても勝ち点3が欲しかったので逆転するために60分に勝負に出て3人選手を代えたところ3失点し、1対5で敗れてしまいました。
結果が伴っているときは信じてやれるけれども、結果が少し出なくなったときに今まで染み付いてきた守備に戻ってしまう選手もいた。選手のマインドを変え切れなかった部分がありました」
シュタルフ監督の誤算。「だいぶ仕事をしづらくなってしまいました」
――この守備を実践するうえで難しさはどこにあるのでしょうか?
「各ポジションの役割はシンプルかつ明確で、基本的に難しさはないと思います。ただ、一番前にいる選手と一番後ろの選手がつながっていなければならない。
相手にボールを持たれていても、持たせていると考えてストレスを感じず、どこにボールが入ってきたら奪うという絵を共有できていることが大事です。
たとえば相手のサイドバックへパスが入ったら狙いどころというのは全員がわかっていると思うのですが、サイドバックがそこからバックパスすることもありますよね。そのバックパスに対してアグレッシブに奪いに行くようにしていたんですが、前の選手は行っているのに後ろがついてくるのが遅れる、もしくは後ろが押し上げているのに前が行っていない、という不一致は選手の組み合わせによって起きることがありました。
一番痛かったのは松本山雅戦で佐藤祐太と進昂平が負傷で離脱したことですね。前線のプレスユニット4人のうち2人が欠けてしまった。
あとは砂森和也の離脱の影響が本当に計り知れなかった(編集部注:急性白血病を患った娘の看病に専念するために6月16日にチーム活動の休止を発表)。守備でリーダーシップを発揮してまとめてくれる選手が不在となったことが影響しました」
――松本戦後に進選手は3試合欠場、佐藤選手は5試合欠場しました。信州ダービーというビッグマッチによってチームが消耗した部分はあったのでしょうか?
「それをよく言われるんですが、僕はあまり感じていませんでした。もちろん信州ダービーの影響をゼロにするのは不可能だと思います。長野県において信州ダービーはとてつもない盛り上がりで、全員が神経を研ぎ澄まして戦い、ダービー2連戦で精神的な疲れはあったと思います。パワーダウンが予想される状況でした。
だからこそ1週間後の天皇杯1回戦・ラランジャ戦は、あまりメンバーを変えずに臨んだんです。天皇杯の方で先にパワーダウンを経験し、リーグ戦への影響を最低限にしようと考えた。予想通りラランジャ戦は動きが鈍い部分があったんですが、2対0で勝利することができた。第11節の沼津戦は再びパワーアップして臨めたと思います。
ただし、チームを取り巻く環境に関しては良くも悪くも変わってしまった部分がありました。良く言えば、期待がかなり高まった。悪く言えば、自分たちがまるで絶対王者かのように扱われてしまった。
第11節に沼津に0対1で敗れ、第12節にFC大阪に0対1で敗れたんですが、内容的には紙一重の試合でした。僕たちとしてもプラン通りに試合を進めることができた。
たとえば沼津戦はあえて引いて守るという選択をしました。沼津戦は14時キックオフで、普段涼しいところで暮らしている長野にとっては暑熱対策が難しいゲームになると予想したからです。ただ、ラインが想定より少し下がりすぎ、68分にミドルシュートを決められてしまった。
FC大阪戦に関しては、花園ラグビー場のピッチ状態が悪いことはわかっていたので、身長が高い選手を多めに使った。案の定ロングボールゲームになり、その中で優勢に戦えましたが、86分にセットプレーでやられてしまった。
期待が想像以上に膨らんでいたのでしょう。この2試合後、批判がものすごく高まってしまったんです。首位に立ったのに、こんな相手に負けるのかよと。
でも待ってください。発表されたJ3の決算資料を見たら、パルセイロはもはや資金的に上位にはいないんですよ。どんな相手もみくびってはいけない。実際、J3において大阪は2位で沼津は6位(取材時点)です。弱い相手ではありません。もし勝ち点を取れなかったとしても、過小評価すべき相手ではありませんでした。
なのに周囲に焦りが生まれ、選手に対する個人攻撃、監督批判、誹謗中傷が一気に膨れ上がった。だいぶ仕事をしづらくなってしまいました」
なぜ抜け出せなかったのか? 低迷を招いた複合的な要因
――シュタルフ監督のところにも誹謗中傷が来たのでしょうか。
「すごかったですね。インスタグラムをやっているのですが、ダイレクトメッセージがたくさん届きました。サッカー熱が高くクラブに対する期待値が大きい反面、誹謗中傷も多く、去年もクラブが声明を複数回出したくらいです。
沼津に負けたときは、『長野から出ていけ』、『史上最弱のパルセイロだ』といった声が届きました。あとは誰を使え、誰を使うなという意見ですね。選手本人にも『おまえが出るから負けるんだ』という声が届いていた。どんなメンタルが強い選手でも、感情が揺さぶられる。影響は大きかったです。
一部のメディアの担当者にもずいぶん頭を悩まされました。沼津戦は想定以上にラインが下がってしまったとはいえ、ラインを下げて戦うのが狙いだった。でも記事でそこをボコボコに叩かれ、次のFC大阪戦では相手がロングボールを使うのでDFラインを上げるのは逆効果なのに、中には記者の影響を受けてラインを調整する選手もいた。
また、FC大阪戦では花園ラグビー場のグラウンドが悪いので蹴る選択をしたら、ビルドアップが機能しないと批判された。そうしたら次の琉球戦で、選手たちが見返そうとして普段だったら蹴るような場面でもつなごうとする姿勢が見られた。結局、ビルドアップのエラーからPKを献上し同点弾を決められてしまいました。
ついには『戦っているように見えない』という声があがり、その次の鹿児島戦では選手たちがフルスロットルのハイプレスをかけた。立ち上がりだけ前から行こうと言っていたはずなのに、ブレーキが効かなくなっていました。
自分たちの方針をブレずにやる芯の強さとそれをスタッフ全体でサポートする姿勢が足りなかったといえばそれまでなんですが、メディアの人たちにはインタビューや記事が選手の心理に影響することをもっと自覚して欲しいです」
――メディアの報道やSNSの反応で少しずつ細部がズレ始め、試合ごとにそれが大きくなっていったわけですね。
「主力の離脱と、メンタルの揺さぶりと、新しいことにチャレンジしている中で心の奥底にある不安な気持ちが引っ張り出されたことが合わさり、さらになぜ誰々が使われないんだといった偏った報道で一体感にもひびが入り、そこからはもういよいよ本当に勝てなくなってしまいました」
――サッカーはメンタルスポーツで、どんな実績のある名将でも負のサイクルに陥ると立て直すのが難しい印象があります。今回はどんなところに難しさを感じましたか?
「サッカーには正解がなく、これを変えたらすべて良くなるというスイッチのようなものがないのが一番の難しさだと思います。車が動かなくなったらエンジンが壊れたのか、ギアが消耗したのか、そもそもガソリンがなくなったのかといった原因を探せますが、サッカーは複合的にさまざまな要素が絡んでいる。
先ほど暑熱対策について少し話しましたが、パルセイロの過去10年間を見るといつも夏に向かって気温が高くなる時期に苦戦しているんですね。長野は涼しく、暑さに慣れるのにタイムラグがあるからかもしれません。今年はトレーニング時間や負荷を変えて対策を試みたんですが、結局6月に1勝もできませんでした。僕はもうパルセイロに携わる立場ではないですが、今後は暑くなる前に暖かい気候のところでミニキャンプを張るべきかもしれません。
チームの一体感についても早い段階で働きかけをしました。沼津とFC大阪に連敗したあとに、専門の講師を招いてチームビルディングの活動をしたんです。
それでも周囲がつくるうねりに抗うことはできなかった。いろいろなものが複合的に絡み合い、立て直すのに時間がかかってしまいました」
突然の解任「新しい戦い方を身につけつつあった」
――サッカーのやり方を変えるということは頭をよぎりませんでしたか?
「機能していなかったのであれば根本的に変える必要があったと思いますが、一時は首位に立ったことからもわかるように僕たちのやり方は機能していたんですよ。何かを大きく変えられるほどの選手層も我々にはありませんでしたしね。
勝てなくなったのはシーズン前に準備したことをしっかりやれなくなったからで、再びやれるようにすることが一番の解決策だと考えていました。やり方を変えて1勝できたとしてもすぐに壁に当たり、優勝と昇格の確率は上がりません。
苦しい時期に入ったことをまず受け入れ、何試合かかるかわからないけれども「リハビリ期間」として1つずつ取り戻そうと考えました。自分たちの良さを取り戻す。ケガ人も少しずつ帰ってくる。そういう中で成功体験が生まれて、また右肩上がりになるはずだと。
ただし、まったく同じことを続けるのではなく、平行してブラッシュアップもしていました。1トップをできる人材が負傷し、夏の移籍ウインドーで補強を要望しましたが実現しなかったので、2トップでの戦い方を積み上げ始めた。
また、補強で主力クラスのボランチの選手が入ってきたので、新たにダブルボランチのシステムにもチャレンジしました。苦しい時期を乗り越えながら、新しい戦い方を身につけつつあったんです。
判定に泣かされて勝利を逃した試合もありましたが、第20節に相模原に勝って9試合勝ちなしという負の連鎖に区切りをつけ、第22節に鹿児島相手に勝利しました。でも23節から2連敗して解任されてしまった。大きな壁を乗り越えかけていたタイミングでの解任だったので、すごく悔しさが残っています。
解任時点で残り14ゲームで昇格圏まで勝ち点11差。自分はひっくり返す自信しかなかったです」
――積み上げてきたものを貫くという点では湘南ベルマーレの山口智監督とも共通点を感じました。
「智くんはS級ライセンスの同期で、実は今年結構密に連絡を取り合っていました。僕がベルマーレの試合を分析したり、お互いに助言したりしていた。守備のやり方は全然違いますが、積み上げてきたものを継続するという点では本当に似ていると思います。ベルマーレの巻き返しに期待しているし、時間ができたので智くんと食事にでも行ければと思います」
「J3は甘くない」「メラメラと燃えています」
――9試合勝ちがなかったとき、試合中のコーチングに変化があったように思いました。何か意識したことはあったのでしょうか?
「実は信州ダービー後に自分のゲームコーチングに対して指摘を受けて、コーチングゾーンでの立ち振る舞いを変えました。具体的にはジャッジやコーチングに熱くなりすぎて試合を冷静に見られていないのではという指摘でした。熱く戦っているように見えても、自分は至って冷静で全くそんなことはないんですけどね。
指摘を受け入れ、ダービー後はコーチングの回数を制限して大事なことだけをスマートに伝えるようにしたのですが、それによってピッチ内の熱量が下がって選手のあと一歩が出なくなったように感じました。レフェリーについても判定ミスをしたときに、こちらに帳尻を合わせる笛が減ったと感じました。
ミーティングでキャプテンから『以前のように戦って欲しい』という声が出たことを受け、代理人とも相談し、第18節の鳥取戦からコーチングスタイルを戻しました。そこから再び勝ち点を積み上げられるようになった。
戦術は大きくは変えませんでしたが、試合中のコーチングのスタイルは一時的に変えてしまったので、その点については悔いが残っています」
――ヨーロッパには「監督は1回解任されてからが一人前」という言葉があるそうです。厳しい経験をした今、何か感じるものはありますか?
「こういう経験をして、今のところポジティブなことは何も感じてないですね。やっぱり今年に懸ける思いはかなり強かったので。そもそもパルセイロは金銭的にJ3優勝を狙えるビッグクラブではありませんが、ミラクルを起こせるのは自分しかいないと信じていました。あえて『優勝します』と言ったのも自分だし、『昇格させます』と言ったのも自分。本当に悔しさ、不完全燃焼っていうような気持ちで日々過ごしています」
――この記事をパルセイロのサポーターも読むと思います。シュタルフさんのインスタグラムを見ると、退任後もサポーターの方たちと心温まる交流があったそうですね。
「サポーターには本当に感謝しかないです。特にスタジアムに来て応援してくれる人たちの純粋な気持ちは、本当に素晴らしいと思いました。このクラブと一緒に上に行くんだという思いが毎試合伝わってきました。
パルセイロのサポーターは特別だと思います。J3の中でも観客数が多い方ですし、J2のいくつかのクラブより多い。街をあげてパルセイロを応援するという熱がある。パルセイロにとってサポーターの存在は最大の財産です。
誹謗中傷を書いている人は一握りだと思います。監督としては、そういう人たちをも仲間に取り込みたかった。
監督として本当に受け入れてもらえたと感じているし、サポーターの人たちは僕の言葉に耳を傾けてくれました。
追いつかれて引き分けた第4節の富山戦後だったと思いますが、コールリーダーのところへ行って話をしたことがあるんです。パルセイロはまだまだ百戦錬磨の選手が少ないし、図太い選手も少ない。サポーターの雰囲気はピッチに伝染するから、できるだけポジティブな空気をつくるのを手伝って欲しいと伝えました。
コールリーダーをはじめゴール裏の人たちは理解してくれて、そのポジティブな雰囲気が信州ダービーの勝利につながった。9試合勝ちがないときもその姿勢を貫いてくれ、だからこそ10試合目に勝って乗り越えることができた。感謝の気持ちでいっぱいです。昇格という結末を見せられなかったことを本当に申し訳なく思います。
この前、お気に入りのお花屋さんに予約して行ったら、サポーターの方たちが集まっていてくれて、サプライズで花束をプレゼントしてくれました。自分の1年9カ月は無駄ではなかったと感じました。
ダービー2連勝がサポーターの方たちの記憶に残ったのなら、頑張った甲斐があります」
――今後のキャリアについてどう考えていますか?
「次のチャンスに向けてメラメラと燃えていますよ。今回の反省点としては、自分のポリシーというか美学と言いますか、これまではどんなチーム編成でもJ2昇格を果たせると思っていたこと。
でもそれほどJ3は甘くないと痛感しました。今回僕は一人でパルセイロに来ましたが、今後はコーチングスタッフを集めて『チームシュタルフ』をつくらないといけないと感じたし、選手獲得に関しても最低限編成のバランスや選手の特徴といった一定の要望を満たしてもらえるようにクラブと協力しながら戦えたらいいなと考えています。
スタートラインを整えないと、今回と同じことを繰り返すと思います。クラブの資金力によってJ3内で戦力差が生まれるのは当然ですが、限られた予算の中でも、ポジションバランス、左右のバランス、年齢バランスは整えることができる。
いつかパルセイロの人たちに『なぜあのときシュタルフを解任したのだろう。もったいなかったな』と感じてもらえるように、監督として結果を残し続けていきたいです。次のチャンスをもらえたら、今回の経験を生かして絶対に飛躍してみせます」
(取材・文:木崎伸也)
シュタルフ悠紀
1984年8月4日生まれ、ドイツのノルトライン・ヴェストファーレン州ボーフム出身。ドイツ人の父と日本人の母を持つ。5歳のときに父の仕事の関係で東京へ移住。高校卒業と同時にFCチューリヒに加入。その後は世界中のクラブを渡り歩き、日本では2011年にジェフユナイテッド千葉・市原リザーブズに所属した。現役引退後は東京ヴェルディ普及部、自身が代表を務めるレコス(RECCOSS)の監督などを務めた。同時にベルギーのダブルパス社と提携し、日本チームのチームリーダーとしてJクラブの監査とコンサルティング業務に携わってきた。2019年から21年までY.S.C.C.横浜の監督を務め、22年にAC長野パルセイロの監督に就任。同年8月に解任が発表されている。