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22/23シーズン、イタリアの名門ナポリは実に33年ぶりのスクデット獲得を成し遂げた。その立役者となったのが、ジョージア代表MFクヴィチャ・クワラツヘリアだ。ナポリ加入当時、ほぼ無名だった小国生まれの男は、いかにしてワールドクラスの選手になったのか。そのストーリーを前後編でお届けする。今回は後編。(文:弓削高志【イタリア】)
蘇った戦争の記憶。ナポリ移籍が幸運だった理由
クワラツヘリアが11歳でスカウトされた12年、ディナモ・トビリシはちょうど育成部門のクラブアカデミー組織を刷新、大型投資によって人工芝グラウンド3面を持つ練習施設を充実させたときだった。アカデミーに入ったクヴィチャ少年は内気で無口だったが、一度グラウンドに入れば性格を一変させ、チームを引っ張った。両脛のソックスを下げるのを好む癖はその頃からだ。
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17年8月、16歳7ヶ月でトップチーム・デビューを飾ると、3ヶ月後にはプロ初ゴールも決めた。クラブ史上最年少記録だった。
19年にロコモティフ・モスクワを経て、ルビン・カザンへ移籍。ロシア・リーグで注目すべき若きタレントとしてUEFAから「19/20シーズンの将来有望な若手50人」の一人にも選ばれ、5大リーグのスカウトたちの間でも評価が高まり始めた。
転機はやはり“戦火”だった。22年2月、ロシアがウクライナへ侵攻を開始した時、子供の頃の苦い記憶が蘇った。
自分はこの灰色の世界から出るのだという強い決意でクワラツヘリアはカザンを後にし、母国のディナモ・バトゥミに身を寄せた。夏になり、西欧世界に飛び込む第一歩として彼が選んだのが、紺碧の海にヴェスヴィオ火山を望むセリエAの強豪ナポリだった。
クワラツヘリアにとって幸運だったのは、ナポリのカステル・ヴォルトゥルノ練習場で彼を迎えたのが智将ルチアーノ・スパレッティだったことだろう。約30年に及ぶ指導歴を持つベテラン指揮官は、10年と12年にFCゼニト・サンクトペテルブルクでロシアリーグを制した経験があり、東欧のサッカー事情にも造詣が深い。
何よりスパレッティは優れた戦術家である一方、人情にも篤かった。選手を縛ることを嫌い、その代わりにプロとしての自主性と自由を尊重する柔軟な思考の持ち主だった。スパレッティはチームのトップスコアラーであるFWヴィクター・オシムヘンとの連係を考慮しながら、クワラツヘリアの特性を見抜き、前線での約束事をシンプルに伸び伸びとプレーさせることで最大の能力を引き出した。
「クワラ(ツヘリア)は本当にうまいプレーヤーだ。攻撃での仕掛けや静止状態からの加速力を見るだけでわかる。マーカーにしてみれば彼の動きは予測不可能だから相当厄介だろうし、何度も相手の守備陣をズタズタにした。左右どちらでも蹴れるし、キックの精度も素晴らしい。近い将来、マラドーナに近いレベルまでいけると思うね」
昨シーズンの開幕からクワラツヘリアは2戦連発デビューを飾った。一対一にめっぽう強く、超絶技巧を持ちながら仲間を活かし、自身の決定機には必ず決める。03/04シーズンにミランでデビューし、後に07年度バロンドールを受賞したMFカカを彷彿とする活躍ぶり。イタリア中が“あの新人はヤバい!”と感嘆の声を上げ始めるのに時間はかからなかった。
【了】