フットボール批評オンライン特集記事
22/23シーズン、イタリアの名門ナポリは実に33年ぶりのスクデット獲得を成し遂げた。その立役者となったのが、ジョージア代表MFクヴィチャ・クワラツヘリアだ。ナポリ加入当時、ほぼ無名だった小国生まれの男は、いかにしてワールドクラスの選手になったのか。そのストーリーをお届けする。(文:弓削高志【イタリア】)※全文を読むには記事の購入が必要です
ナポリ加入1年目でMVP。愛称は「クワラドーナ」に
守備の伝統国イタリアは、ドリブラーにとって危険極まりない場所だ。どんなに活きのいい新人選手でも、瞬く間に熟練DFたちの餌食となって潰される例が後を絶たない。
だから、22年の夏に東欧の辺境国ジョージア(旧国名グルジア)からやってきたMFクヴィチャ・クワラツヘリアが与えたインパクトは鮮烈かつ絶大だった。ナポリが1100万ユーロ(約15.4億円)で獲得した01年生まれの若者は、すらりとした長身からしなやかなスラローム・ドリブルを繰り出し、イタリア中のDFたちをきりきり舞いさせた。
5大リーグ初挑戦にも関わらず、左右の両足から魔法のようなアシストとゴールを重ね、クラブに33年ぶりのリーグ優勝をもたらすと、デビューシーズンにリーグ年間MVPまで受賞してしまった。ナポリのホームスタジアムにその名を冠された“神”ディエゴ・アルマンド・マラドーナにあやかり、クワラツヘリアは今や国中で「クワラドーナ」の愛称で親しまれている。
「誇らしい気分だよ。でもマラドーナに喩えられるのだから、その分重大な責任も感じるね」
南米流の奔放な人生を送った本家に比べ、東欧生まれの青年クワラツヘリアは内気で信心深い。性格のちがいはあれど、アッズーリ色のユニフォームに背番号77を背負う“クワラドーナ”が現在のセリエA最強アタッカーの一人であることは論を俟たない。グラウンドで誰より雄弁な彼はナポリとセリエAの歴史を書き換えた。
未だ成長の余地を残す22歳の大器クワラツヘリアは、サッカー界の傍流からどうやってワールドクラスのプレーヤーへと上り詰めたのか。
戦火に包まれた国で開花したフットボールの才能
15年前の夏、人口450万に満たない黒海の小国ジョージアは戦火に包まれた。南オセチア戦争と呼ばれるロシアとの領土紛争が起こり、大規模な戦闘が当時7歳だったクヴィチャ少年と家族が暮らす首都トビリシ近くの町にまで迫った。
国内の名選手だった父バドリに従い、ボールを蹴り始めていたクワラツヘリアは、領土を失ったジョージアの敗戦を伝えるTVニュースと身体を震わす爆音を聞きながら、幼心にサッカーこそ平穏な人生を得るための最良の道だと信じ、日々の練習をより真剣に取り組むようになった。
「おいおい、あの小僧、一体どこから湧いてきたんだ?」
両親以外でクワラツヘリアの才能を最初に見出したのは、ディナモ・トリビシのチーフスカウト、テムル・ウグレケリゼとされている。ナポリの新アイドルのルーツを探るイタリア紙のインタビュー取材に胸を張った。
「何人か評価したい子供がいて、試合を見に行ったんだ。キックオフから10分もしないうちに、ある少年がボールを持ったと思ったらドリブルを始めて相手全員を抜いたんだ。一度も止まらずにだよ。あらためて注目してみたら、当時11歳だったクワラツヘリアはボランチやDFに『ボールを後ろに下げるな!』と大声で怒っていた。その歳でそこまで自己主張できる子はいない。彼の虜になったよ。すぐに父親を探し出して、うちのクラブに来てもらうよう口説いた」
ディナモ・トリビシは、ディナモ・キエフ(ウクライナ)と並び、旧ソビエト連邦時代にロシア勢以外の強豪として一目置かれていたクラブだ。
81年にはUEFAカップ・ウィナーズ・カップで優勝している。当時、10番を背負い優勝の原動力となったMFダヴィド・キピアニは引退後指導者になったが、母国の代表監督だった01年秋、心臓発作により49歳の若さで不慮の死を遂げた。同じ年に生を受けたクワラツヘリアこそ名手キピアニの生まれ変わりだとジョージアの国民は信じて疑わない。
蘇った戦争の記憶。ナポリ移籍が幸運だった理由
クワラツヘリアが11歳でスカウトされた12年、ディナモ・トビリシはちょうど育成部門のクラブアカデミー組織を刷新、大型投資によって人工芝グラウンド3面を持つ練習施設を充実させたときだった。アカデミーに入ったクヴィチャ少年は内気で無口だったが、一度グラウンドに入れば性格を一変させ、チームを引っ張った。両脛のソックスを下げるのを好む癖はその頃からだ。
17年8月、16歳7ヶ月でトップチーム・デビューを飾ると、3ヶ月後にはプロ初ゴールも決めた。クラブ史上最年少記録だった。
19年にロコモティフ・モスクワを経て、ルビン・カザンへ移籍。ロシア・リーグで注目すべき若きタレントとしてUEFAから「19/20シーズンの将来有望な若手50人」の一人にも選ばれ、5大リーグのスカウトたちの間でも評価が高まり始めた。
転機はやはり“戦火”だった。22年2月、ロシアがウクライナへ侵攻を開始した時、子供の頃の苦い記憶が蘇った。
自分はこの灰色の世界から出るのだという強い決意でクワラツヘリアはカザンを後にし、母国のディナモ・バトゥミに身を寄せた。夏になり、西欧世界に飛び込む第一歩として彼が選んだのが、紺碧の海にヴェスヴィオ火山を望むセリエAの強豪ナポリだった。
クワラツヘリアにとって幸運だったのは、ナポリのカステル・ヴォルトゥルノ練習場で彼を迎えたのが智将ルチアーノ・スパレッティだったことだろう。約30年に及ぶ指導歴を持つベテラン指揮官は、10年と12年にFCゼニト・サンクトペテルブルクでロシアリーグを制した経験があり、東欧のサッカー事情にも造詣が深い。
何よりスパレッティは優れた戦術家である一方、人情にも篤かった。選手を縛ることを嫌い、その代わりにプロとしての自主性と自由を尊重する柔軟な思考の持ち主だった。スパレッティはチームのトップスコアラーであるFWヴィクター・オシムヘンとの連係を考慮しながら、クワラツヘリアの特性を見抜き、前線での約束事をシンプルに伸び伸びとプレーさせることで最大の能力を引き出した。
「クワラ(ツヘリア)は本当にうまいプレーヤーだ。攻撃での仕掛けや静止状態からの加速力を見るだけでわかる。マーカーにしてみれば彼の動きは予測不可能だから相当厄介だろうし、何度も相手の守備陣をズタズタにした。左右どちらでも蹴れるし、キックの精度も素晴らしい。近い将来、マラドーナに近いレベルまでいけると思うね」
昨シーズンの開幕からクワラツヘリアは2戦連発デビューを飾った。一対一にめっぽう強く、超絶技巧を持ちながら仲間を活かし、自身の決定機には必ず決める。03/04シーズンにミランでデビューし、後に07年度バロンドールを受賞したMFカカを彷彿とする活躍ぶり。イタリア中が“あの新人はヤバい!”と感嘆の声を上げ始めるのに時間はかからなかった。
南北問題やクラブ間のライバル意識を超え…。ジョージア人は伝説の男に
ナポリ郊外のカステル・ヴォルトゥルノ練習場は、カンピオナート首位を走るチームの新アイドルを一目見ようと連日、大人から子供まで大賑わい。キリスト教圏では毎年クリスマスになると教会や各家庭で、聖書のキリスト誕生を描いた情景模型「プレセーペ」を飾る習慣があるが、信心深いナポリの街ではそこに選手を形どった手作りフィギュアも飾るのが定番。昨年のクリスマスにはここ数年人気だったFWオシムヘンや主将ジョヴァンニ・ディ・ロレンツォを押しやって、クワラツヘリアが断トツの一番人気に。地元ファンだけでなく故郷ジョージアからの観光客にも飛ぶように売れたという。
「夕食に招きたい人は誰ですか?」「クワラへツリアです。ナポリの名物ピッツァ・マルゲリータやモッツァレッラ・チーズをご馳走して、どうやったらそんなにサッカーが上手くなるのか聞きます」という地元小学校の作文がSNSに投稿され、バズるという社会現象も巻き起こした。
年が明け、春には“シーズン・ベストゴール”も生まれた。ホームでの第26節アタランタ戦(2-0)での60分、右のオシムヘンからボールを受けたクワラツヘリアは、ドリブルでスルスルとペナルティエリア前まで持ち込んだ。ゴールの前には縦に並ぶ3人のアタランタDFとGK。しかし、ナポリの背番号77は一瞬も自身の動きを止めることなく、流れるようにトリプル・フェイントをかけて彼らを翻弄し、右足ミドルをゴール右上隅に突き刺した。ベンチにいた智将スパレッティも思わず両手を広げて感嘆を示したほどのビューティフル・ゴールで、クワラツヘリアへの評価は決定的になった。
マラドーナ時代以降の過去33年間、地元出身の元主将FWロレンツォ・インシーニェ(現トロントFC)やリーグ得点記録をもつFWゴンサロ・イグアイン、DFカリドゥ・クリバリ(現アル・ヒラル)ら多くの名選手たちがスクデット獲りに挑んだ。誰一人として成し遂げられなかったタイトルをもたらした男として、クワラはすでに伝説の男になったといっていい。イタリアに長くはびこる政治上の南北問題やクラブ間のライバル意識すら越えて、今やクワラツヘリアは誰もが認めるセリエAの最強プレーヤーなのだ。
「今じゃとても自宅から外出できないよ(笑)」
今季、クワラツヘリアはあの偉大なマラドーナでもなし得なかった“スクデット連覇”という偉業に挑む。
連日、数千人が押し寄せた今年のキャンプでもファンのお目当ては77番を背負うクワラツヘリアだった。『ガゼッタ・デッロ・スポルト』紙は、ジョージア人同業者に通訳の協力を仰いでインタビューを試みた。
「街の人たちのクラブ愛が強すぎて、今じゃとても自宅から外出できないよ(笑)。まだ無名だったはずの入団当初から周りの人たちは僕のことをナポリの新人だとすぐに見分けて、応援してくれた。昨季の優勝はサプライズだと言われたようだけど、僕らはいい準備ができていた。練習でも試合でも全力に取り組んだモチベーションの高さがタイトルを獲れた要因だと思う。決して僕だけの手柄ではないよ、チーム全員の功績だ。連覇? 今季はうち以外にも強いチームがいくつもある。ただし、喜んでうちと優勝争いをしたいというチームは少ないと思うけどね(笑)」
智将スパレッティ(現イタリア代表)が去ったチームには、新監督リュディ・ガルシアが着任した。当然、新指揮官がクワラツヘリアにかける期待は高い。
「我々は優勝候補の一つではあるが、最有力候補というわけではない。チームが自信をもつのはいい。しかし、慢心することなく勝利への意欲を持ち続けることが大事だ」
クラブの大物OBファビオ・カンナヴァーロは「クワラツヘリアにも課題はある」と後輩に厳しい言葉を投げかける。
「絶対的なスーパー・プレーヤーになるにはもう一皮むける必要がある。昨季終盤、やつが只者じゃないとわかった時からイタリア中のDFたちはマークの頻度を倍に、当たりを厳しく詰めるようになった。ドリブルで抜くことにこだわってボールロストするくらいなら、パスを選択してスペースを見つけて仲間との連係を優先させた方がよりチームの勝利は上がる。それができるようになれば、やつはサッカー史上の名手たちと同じ高みにたどり着ける」
クラブの大先輩からの言葉は“お前にも将来バロンドールへの道が開けてくるはずだ”という愛ある叱咤だろう。
今季はセリエA連覇を狙うと同時に、UEFAチャンピオンズリーグ(CL)でも昨季のベスト8以上が目標だ。ミランに破れた準々決勝でクワラツヘリアは試合開始早々の得点機を逃し、第2戦ではPKを失敗した。苦い思い出が残る。
「人は失敗から成長することを学ぶ。あの敗戦から僕の成長すべきところも理解したよ。CLにも再チャレンジだ」
幼少の日、ソックスを下げて得意のドリブルを繰り返したクヴィチャ少年は、22歳の今、セリエA王者として、リーグ最強のプレーヤーとして新しいシーズンに臨む。もう辺境にはいない。クワラツヘリアは週末ごとに世界の中心へ一歩ずつ力強く突き進む。
(文:弓削高志【イタリア】)
【了】