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【写真:Getty Images】
DF:アルパイ・オザラン(浦和レッズ/元トルコ代表)
生年月日:1973年5月29日(当時31歳)
在籍期間:2004年7月~2005年5月
J1リーグ成績:13試合0得点1アシスト
長年に渡ってトルコ代表のセンターバックを務めたアルパイ・オザランは、2002年の日韓ワールドカップに出場した。グループステージ初戦のブラジル戦で決勝点につながるPKを与えてしまったが、決勝トーナメントから復帰を果たすと、日本代表とのラウンド16ではマン・オブ・ザ・マッチに輝く。トルコ代表を3位入賞に導いたアルパイは同大会のオールスターチームに選出されている。
トルコのベシクタシュなどでプレーしたアルパイは、イングランドのアストン・ビラで3年半プレー。04年1月に韓国の仁川ユナイテッドと2年契約を交わしたが、半年足らずで浦和レッズへの移籍が決まった。
身長188cm・体重81kgの体躯はJリーグでも屈指だったが、日本ではそれが裏目に出た。小柄な日本人選手との対戦やJリーグの判定基準に合わず、イエローカードを連発してしまう。加入した04年はチームの2ndステージ優勝に貢献したものの、05年は出場機会が激減。同年5月に契約解除が発表された。
DF:ウーベ・ラーン(浦和レッズ/元西ドイツ代表)
生年月日:1962年5月21日(当時31歳)
在籍期間:1993年7月~1994年7月
J1リーグ成績:7試合1得点0アシスト
ボルシア・メンヒェングラートバッハで頭角を現したウーベ・ラーン。1986/87シーズンには24ゴールを挙げてブンデスリーガの得点王、1987年にはドイツ年間最優秀選手にも選出された。西ドイツ代表では1986年のメキシコ大会のメンバーとして選出されている。
Jリーグが開幕した1993年に浦和レッズに加入したが、ブンデスリーガ得点王の実力を発揮することはできなかった。チーム事情と自身のコンディションの問題もあり、本職のFWからリベロへポジションを移した。ギド・ブッフバルト、ウーベ・バインが加入した1994年は外国人枠の問題から出場機会を失い、そのまま退団している。
DF:モーゼル(鹿島アントラーズ/元ブラジル代表)
生年月日:1960年9月19日(当時34歳)
在籍期間:1995年~96年
J1リーグ成績:17試合0得点0アシスト
フラメンゴではリベルタドーレスカップとトヨタカップを制し、ポルトガルのベンフィカでは2度のリーグ優勝、マルセイユではリーグ3連覇を経験。また、ブラジル代表では1990年のイタリアワールドカップに出場し、フラメンゴ時代のチームメイトでもあるジーコに請われて鹿島アントラーズにやってきた。
しかし、このとき既に34歳となっていたモーゼルは、日本で輝くことはなかった。1996シーズン第8節のジュビロ磐田戦では19分に投入されたが、わずか2分後に退場となってしまう。結局、同年シーズンのJ1リーグ戦は2試合の出場に終わり、このシーズン限りで現役引退を決断した。