MF:アンドレア・ピルロ(元イタリア代表)
生年月日:1979年5月19日
在籍期間:2001年夏~20011年夏
移籍金:1704万ユーロ(約23.9億円)
クラブ通算成績:401試合41得点70アシスト
2001年夏にアンドレア・ピルロを獲得していなければ、ミランはここまでの成功を収めていなかったかもしれない。それと同時に、ピルロ自身も、後世に語り継がれるほどの選手になっていなかった可能性もある。
イタリア期待の若手だったピルロは、1998年にブレシアからインテルに移籍したが、なかなかブレイクできずにいた。インテルはピルロの飛躍を諦め、2001年にミランへ放出。ミランでもベンチスタートの若手だったが、9月のUEFAチャンピオンズリーグでジェンナーロ・ガットゥーゾとマッシモ・アンブロジーニが負傷により不在になると、カルロ・アンチェロッティ監督から守備的MFとしての起用を持ちかけられる。インテルではトップ下がメインだったが、ブレシアでボランチをこなしていたピルロは、そこで才能を発揮。芸術的なボールさばきと広い視野、そして正確なキックでゲームを組み立て、ミランの柱になっていった。
ピルロが攻撃のタクトを振るうミランは、UEFAチャンピオンズリーグで2度優勝。セリエAでも2回の優勝を成し遂げた。ブレシアでピルロとチームメートだったロベルト・バッジョは「一緒にプレーすると全て彼次第だった。彼はそのアクションの中で何が起こるのかを事前に感じる能力が段違いだった」と絶賛していた。
MF:クラレンス・セードルフ(元オランダ代表)
生年月日:1976年4月1日
在籍期間:2002年夏~2012年夏
移籍金:2250万ユーロ(約31.5億円)
クラブ通算成績:432試合62得点69アシスト
クラレンス・セードルフは戦術的な柔軟性でミランを成功に導いた助っ人だ。異なる3つのクラブでUEFAチャンピオンズリーグを制した史上初の選手になったという事実からも、いかに適応力が高いかがうかがえる。
セードルフは2002年夏に加入。同じ街のライバルであるインテルと、フランチェスコ・ココとのトレードでやってきた形だ。宿敵からの加入ということで懐疑的な見方はあったが、すぐにレギュラーとして起用された。プレーメーカーのアンドレア・ピルロ、守備のジェンナーロ・ガットゥーゾ、2人のバランスを取るセードルフと、器用な役割を担った。10番タイプの技術を持ちながら、どっしりとした体幹で球際の戦いにも強く、攻守両面で活躍している。
当時のミランを率いていたカルロ・アンチェロッティ監督は、「筋肉が多い選手を見つけては筋肉量を落とせという監督仲間には申し訳ないが笑ってしまう。筋肉が多いせいで走れないと思い込んでいるが、セードルフのような選手を間近で見てみればいい。彼の筋肉はまるで山だ。脚に2つの山がそびえていたよ」と、セードルフの肉体を称えていた。
MF:マヌエル・ルイ・コスタ(元ポルトガル代表)
生年月日:1972年3月29日
在籍期間:2001年夏~06年夏
移籍金:4132万ユーロ(約57.8億円)
クラブ通算成績:192試合11得点45アシスト
マヌエル・ルイ・コスタはミランで大きなインパクトを残した選手の一人だ。2001年夏に当時のクラブ史上最高額でフィオレンティーナから獲得した。
フィオレンティーナですでにスターとしての地位を築いていたルイ・コスタは、ミランにきてすぐトップ下のポジションを自らのものにした。アンドリー・シェフチェンコとフィリッポ・インザーギの後ろから数々のチャンスを演出。それだけでなく、セカンドストライカーとして起用されることもあれば、カカの加入後は本職以外のポジションにも入り、様々なポジションから鋭いパスを供給している。隙があれば自らシュートを狙うこともでき、華麗なプレースタイルは観る者を魅了した。
カカの加入で出番が減少した形となったルイ・コスタだが、カカにとっては恩人でもある。のちのインタビューでカカは、「ルイ・コスタとは師匠と弟子の関係みたいだった」と語っていた。
私生活はサッカー選手らしくない一面もあり、読書家としても知られている。その一方でキャリア晩年にはタバコを吸っていたことも明らかに。ただ、「若手の悪いお手本になりたくなかった」との理由で、最後まで秘密を貫いていたそうだ。
MF:カカ(元ブラジル代表)
生年月日:1982年4月22日
在籍期間:2003年夏~09年夏、13年夏〜14年夏
移籍金:850万ユーロ(約11.9億円)、フリー
クラブ通算成績:307試合104得点81アシスト
ミランの長い歴史でも最高の補強の一つに挙がるのがカカだろう。サンパウロから850万ユーロ(約11.9億円)で獲得した若者は、ミランで世界的なスターになった。
かつて鹿島アントラーズでプレーしたレオナルドの推薦もあってミランへ行くことになったカカ。開幕戦からマヌエル・ルイ・コスタを差し置いてトップ下で先発起用されると、すぐに周囲が納得するパフォーマンスを見せて、瞬く間に主力になった。加入したシーズンにセリエA優勝に貢献すると、2006/07シーズンはUEFAチャンピオンズリーグで優勝。自身はバロンドールを受賞するなど、世界最高の選手として認知されるようになった。
カカがファンに愛されるのは、クラブに対する忠誠心の強さも影響している。2009年1月にマンチェスター・シティが当時の史上最高額と言われる1億ユーロ(約140億円)の移籍金を用意。カカに対しても年俸1500万ユーロ(約21億円)という破格のオファーを出した。ミランは取引に応じる意思を示したが、カカが残留を希望。カカを支持するファンが自宅前に集結すると、カカはミランのユニフォームを掲げて応え、ファンを喜ばせている。
「聖人エピソード」を挙げればキリがないカカ。ミランファンで彼を悪く言う人はおそらく一人もいない。