RWG:サミュエル・エトー(元カメルーン代表)
【写真:Getty Images】
生年月日:1981年3月10日
在籍期間:2004年8月〜2008年7月
移籍金:2700万ユーロ(約37.8億円)
通算成績:199試合130得点40アシスト
サッカー界にその名を残すアフリカ人選手の1人が元カメルーン代表のサミュエル・エトーだ。下部組織時代から過ごすレアル・マドリードでは輝けなかったが、2000年に加入したマジョルカでブレイク。そして2004年の夏に、当時としては高額な2700万ユーロ(約37.8億円)の移籍金でバルセロナに加わると、瞬く間に“怪物ストライカー”へと進化を遂げている。
アフリカ人選手特有の身体能力に加え、類稀な決定力を備えていたエトーが爆発するまでにそう多くの時間は必要なかった。1年目にリーグ戦25得点をあげ、2年目には同得点王に輝いている。華麗なプレーで世界中のファンを虜にしたロナウジーニョ、そして若く勢いがあったリオネル・メッシと形成する3トップの破壊力は申し分なく、どのクラブでも止めるのは難しかった。
2008/09シーズンはエトーにとって忘れられないものとなった。ジョゼップ・グアルディオラ新監督就任直後に戦力外を告げられたが、最終的に残留すると、自らの力で主力の座を掴み、リーグ戦ではキャリアハイの30得点をマークするなど、スペイン史上初の3冠に貢献してみせた。それを置き土産に、カメルーンが生んだ点取り屋はインテルに活躍の場を移している。
CF:ルイス・スアレス(ウルグアイ代表)
【写真:Getty Images】
生年月日:1987年1月24日
在籍期間:2014年7月〜2020年7月
移籍金:8172万ユーロ(約114.4億円)
通算成績:283試合195得点113アシスト
2013/14シーズンのプレミアリーグ得点王に輝くなど、リバプールですでに“完成されていた”ルイス・スアレスだったが、2014年に加入したバルセロナでさらに恐ろしい存在となった。その活躍ぶりは、リバプールに支払われた破格の移籍金8172万ユーロ(約114.4億円)が安く思えるほど。加入1年目で史上2度目の3冠に貢献し、2年目でヨーロッパ・ゴールデンシューを受賞した。
ルイス・エンリケ政権下、リオネル・メッシ、ネイマールとの南米トリオは『MSN』と称され、その圧倒的な破壊力で多くのクラブを恐怖へと陥れた。自ら決める能力に加え、味方を生かす術も熟知していたスアレスは、ゴールだけでなくアシストも量産。とくにメッシとのコンビネーションは抜群であり、2人の息の合ったプレーから生まれたゴールは数えきれないほどあった。
ロナルド・クーマン監督の構想から外れてアトレティコ・マドリードに去るまで、6年間をバルセロナで過ごしたウルグアイ人は、通算283試合195得点113アシストの成績をマーク。195得点という数字は、メッシを除けばクラブの外国籍選手における最多得点記録となっている。今後、この男以上の結果を残す外国人ストライカーは、バルセロナに現れるだろうか。
LWG:ロナウジーニョ(元ブラジル代表)
【写真:Getty Images】
生年月日:1980年3月21日
在籍期間:2003年7月〜2008年7月
移籍金:3225万ユーロ(約45.1億円)
通算成績:207試合94得点70アシスト
21世紀におけるバルセロナのアイコンはリオネル・メッシだが、彼が台頭する前はロナウジーニョが“それ”だった。すでにパリ・サンジェルマン(PSG)で異彩を放っていたブラジル人は、優勝した日韓ワールドカップの翌年に3225万ユーロ(約45.1億円)の移籍金でバルセロナに加入。2度のラ・リーガ制覇やチャンピオンズリーグ(CL)制覇に貢献し、誰もが認めるレジェンドになった。
ロナウジーニョはまるでダンスを踊っているかのような軽やかなドリブルとテクニックで左サイドを制圧し、いつもスタジアムを自身のショーの舞台へと変えた。伝説となったのは2005年に行われた宿敵レアル・マドリードとのエル・クラシコ。ここで躍動したロナウジーニョは、サンティアゴ・ベルナベウでスタンディングオベーションを送られている。それほど、彼のプレーは芸術的だった。
素行面の問題も影響し、ジョゼップ・グアルディオラ監督就任後にあっさりとクラブを去ってしまったため、他のレジェンドに比べると在籍期間は長くない。しかし、無冠が続いていたバルセロナに笑顔をもたらし、クラブの人気と価値を再び高めたのは紛れもなくロナウジーニョだ。スペインの名門が歴史を重ねていっても、稀代のファンタジスタの輝きが薄れることはない。