DMF:ハビエル・マスチェラーノ(元アルゼンチン代表)
【写真:Getty Images】
生年月日:1984年6月8日
在籍期間:2010年8月〜2018年1月
移籍金:2000万ユーロ(約28億円)
通算成績:334試合1得点8アシスト
エル・ヘフェシート(小さなボス)の愛称で知られるハビエル・マスチェラーノは、南アフリカワールドカップ後にリバプールからバルセロナに移籍した。本職MFの同選手は、当初セルヒオ・ブスケッツの控えとして迎えられたが、ジョゼップ・グアルディオラ監督によってセンターバックにコンバートされると実力を余すことなく発揮。以降CBの選手として、通算300試合以上に出場した。
マスチェラーノはパスセンスに特別優れているとは言い難く、ある意味でバルセロナには似合わぬ選手だったかもしれない。それでも守備力に関してはピカイチであり、優れた戦術眼に基づく危機察知の能力と激しいフィジカルコンタクト、広範囲をカバーするスピード、そして確実にボールを奪うタックルの鋭さを武器に何度もバルセロナを救っている。相手FWからすると厄介な存在だ。
2010年に加入し、以降7年間をバルセロナで過ごすことになったマスチェラーノは、その間にグアルディオラ、ティト・ビラノバ氏、ヘラルド・マルティーノ、ルイス・エンリケ、エルネスト・バルベルデの5人の監督の指導を受けている。バルベルデ監督の元では出場機会を減らしたが、他4人の指揮官には重宝されており、それこそがマスチェラーノの“地味ながら”のすごさを表している。
CMF:イヴァン・ラキティッチ(元クロアチア代表)
【写真:Getty Images】
生年月日:1988年3月10日
在籍期間:2014年7月〜2020年9月
移籍金:1800万ユーロ(約25.2億円)
通算成績:310試合35得点42アシスト
35歳となった現在もトップレベルでプレーを続けるイヴァン・ラキティッチも、バルセロナで愛された選手の1人だ。2014年のブラジルワールドカップ後にセビージャから加入し、それまでセスク・ファブレガスが付けていた背番号4を継承。入団会見では「バルセロナの歴史の一部になる」とサポーターに誓い、その約束を見事果たすことになった。
バルセロナでのラキティッチは最高の名脇役だった。主役に値する能力を持ちながらも前にですぎることはなく、献身的なハードワークを続けてMSN(メッシ、スアレス、ネイマール)やアンドレス・イニエスタ、ダニエウ・アウベスの攻撃力を引き立てている。セビージャ時代に比べゴール数やアシスト数が半減しながらも重宝されたのは、それが大きな理由となっていた。
クラブ史上2度目の3冠などに貢献したラキティッチは、2020年に古巣セビージャに復帰。その間に公式戦310試合に出場した。バルセロナでこの数字を上回る外国籍のフィールドプレーヤーは、リオネル・メッシ、D・アウベス、ハビエル・マスチェラーノの3人しかいない。ちなみにメッシ、ルイス・スアレスとはピッチ内で最高の関係だったが、ピッチ外ではそこまで親しくなかったようだ。
CMF:デコ(元ポルトガル代表)
【写真:Getty Images】
生年月日:1977年8月27日
在籍期間:2004年7月〜2008年7月
移籍金:2100万ユーロ(約29.4億円)
通算成績:161試合20得点45アシスト
2003/04シーズン、ジョゼ・モウリーニョ監督率いるポルトは下馬評を大きく覆し、チャンピオンズリーグ(CL)の頂点に立った。そんなチームで中心的選手として活躍していたのがデコだ。同大会でMVPに輝くなど名実ともに世界屈指のMFとなった男は、2004年夏に同胞のリカルド・クアレスマとのトレードという形で、バルセロナにやってきた。
デコはバルセロナのサッカーにもすぐにフィット。派手なプレースタイルの持ち主ではなかったが、卓越した技術と優れた戦術眼を武器に攻守において安定したプレーを連発し、いつしか“バルセロナの心臓”とも称されるようになった。フランク・ライカールト監督の元、左サイドでロナウジーニョが自由にプレーできたのは、中盤にバランスを整えられるデコがいたからと言っても過言ではない。
バルセロナでの晩年は負傷や後にレジェンドとなるアンドレス・イニエスタの台頭もあって出場機会を減らし、2008年に就任したジョゼップ・グアルディオラ監督の元では構想外となるなど、クラブとの別れ方は決してポジティブなものではなかった、それでも、4年間で公式戦161試合に出場し、6個のタイトルを獲得と、貢献度は計り知れないものがあった。