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これまでに数多くの有望な選手を獲得してきたユベントスだが、そのすべてが成功しているわけではない。高額な移籍金を支払って獲得したものの、満足に活躍できないままチームを去ったものもいる。その中でも、期待と結果が最もかけ離れた選手は誰だったのか。期待に応えることのできなかった選手をランキング形式で紹介する。※移籍金などのデータは『transfermarkt』を参照
2位:マルセロ・サラス
【写真:Getty Images】
生年月日:1974年12月24日
移籍金:2500万ユーロ(約35億円)
在籍期間:2001年8月~2005年8月
リーグ戦成績:18試合2得点2アシスト
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チリを代表する名ストライカーと言えばこの男、マルセロ・サラスだ。1997年に母国を4大会ぶりとなるワールドカップ出場に導くなど活躍し、同年に南米最優秀選手に選出。1998年のフランスワールドカップではイバン・サモラーノと強力なツートップを形成し、決勝トーナメント進出の立役者となっている。ちなみに彼らは「ZaSaコンビ(サ・サコンビ)」と名付けられていた。
パワフルで粘り強く、南米出身選手らしい確かなテクニックも持っていたサラスはクラブチームでも大活躍。ウニベルシダ・デ・チリ、リーベル・プレート在籍を経て1998年に加入したラツィオではセリエA、コッパ・イタリア、スーペル・コッパ、UEFAカップウィナーズカップ、UEFAスーパーカップ制覇に貢献している。欧州名門クラブからのオファーが殺到するなど、当時、同選手は間違いなく世界を代表するFWだった。
だからこそ、2001年に移籍したユベントスでのパフォーマンスはガッカリと言わざるを得なかった。2500万ユーロ(約35億円)と当時としてはかなり高額な移籍金でラツィオからやって来たが、サラスは第8節ボローニャ戦で左足の靭帯を損傷し、1年目を棒に振ってしまう。そして2年目も細かな負傷離脱を繰り返すなど、安定したパフォーマンスを見せることが全くできなかった。最終的にサラスは2003/04シーズンに古巣リーベルへレンタル移籍。そして2005年に同じく古巣のウニベルシダ・デ・チリへフリーで復帰している。ビアンコネロでは実質2年間の在籍で公式戦32試合に出場、得点は「4」でアシストはわずか「3」だった。
ちなみに、ユベントスは2003年、当時10代だったクリスティアーノ・ロナウド獲得のためスポルティングCPと交渉を行っている。しかし、移籍間近とも報じられたが破談。その理由は、トレード要員と考えられていたサラスがポルトガル行きを拒んだからだ。「当時のポルトガルサッカーに魅力が少なく、(サラスを)説得できなかった」とは、元ユベントスのゼネラルマネージャーであるルチアーノ・モッジの息子で、スポーツ代理人業務を手がける『GEAワールド』社長のアレッサンドロ・モッジの言葉。つまり、サラスがポルトガル行きを承諾していれば、C・ロナウドはもっと早く白黒のユニフォームを着ていたことになる。
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