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若くして才能を披露して高く評価された選手が、そのままスター選手として活躍し続ける保証はない。怪我やプレッシャーに苦しみコンディションを落とす選手がいれば、ピッチ外での問題で活躍の場を失っていく選手も多い。今回は大きな期待を背負いながらも、大舞台から姿を消した5人のアルゼンチン人選手を紹介する。
DF:ニコラス・パレハ
【写真:Getty Images】
DF:ニコラス・パレハ
生年月日:1989年1月19日
主な在籍クラブ:スパルタク・モスクワ、セビージャ、エスパニョール
現所属クラブ:現役引退
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2008年に行われた北京五輪でマルティン・デミチェリスやニコラス・ブルディッソがクラブ側の拒否によりアルゼンチン代表を辞退。それにより、オーバーエイジ(OA:24歳以上)枠として招集されたニコラス・パレハは、見事アルゼンチン代表の金メダル獲得に貢献した。だが、A代表でのプレーはフレンドリーマッチの1試合に終わっている。
北京五輪から徐々に注目され始めたパレハは2008年8月にエスパニョールへ移籍し、中村俊輔が加入するまではFKのキッカーを担当している。中村が技巧派で“柔”のFKを蹴るのに対し、パレハはコースが甘いが、パワーのある“剛”のFKを蹴っていた。
その後、2010年にロシアのスパルタク・モスクワへ加入した。だが、怪我の影響などにより2013年にセビージャへ移籍するまでロシアでは60試合の出場でわずか3得点という結果だった。2014年にセビージャへ完全移籍したが、2014/15シーズンの終盤に前十字靭帯断裂の大怪我を負い、翌シーズンの終盤まで欠場することになった。
セビージャでは121試合に出場するものの、怪我が多さが響き出場機会が激減。2018年8月にメキシコのアトラスへ移籍。2019年にインドのケーララ・ブラスターズFCへ加入し、2020年11月に引退している。パレハは北京五輪で金メダル獲得に貢献しながらも、その後は怪我に苦しみ、A代表では結果を残すことができなかった。
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