ゲームの影響で指導者を志した、の真相は?
リバプールやマンチェスターに近い、イングランド北西部のプレストンにあるマイヤーズコウ・カレッジは、園芸系の学問で国内トップレベルの学校だが、近年スポーツ分野にも力を入れていて、スティルは誘いを受けて同校に入学。このとき彼が魅力に感じたことのひとつが、地元のクラブ、プレストン・ノースエンドでインターンシップができることだった。
プレストン・ノースエンドはプレミアリーグに在籍したことはないものの、イングランドのフットボール黎明期を象徴するクラブで、トム・フィニーやビル・シャンクリー、ノビー・スタイルスといった、往年のサッカーファンの心をくすぐるかつての名選手たちがプレーした、イングランドで崇拝されているクラブだ。若かりし頃のデイビッド・ベッカムも短期間だが期限付き移籍でプレーしている。
そんな輝かしい歴史をもつところはなんとなくスタッド・ランスとも共通点があるが、ともあれ、スティルはそこで、インターンとしてU-14チームの監督を任され、人生で初めて“リアル”にチームを率いる体験をした。
リアルに…、というのは、彼についての記事などによく、「ゲームの『FOOTBALL MANAGER』にはまっていて、それでコーチを志した」という記述があるからだが、その真意を本人に尋ねると、「いや、特にそういうわけではないんだ」と笑って否定した。
「フットボールに関するものなら僕はすべて大好きだった。ビデオゲームでも、リアルな試合でも、スタジアムに見に行くのでもね。でもビデオゲームがすべてを教えてくれたわけじゃないし、すべてをそこから学んだわけでもない。僕はとにかく、フットボールに関係する仕事がしたいと思っていた。それで大学に行ってフットボールを勉強し、コーチングに関するディプロマも取得した。とにかくフットボールは僕の人生で常にナンバー1で、いまでもそれは変わっていないんだ」
ビデオアナリスト、スカウト、フィジオセラピスト…等々、フットボールに関わる仕事にはいろいろあるが、このプレストン・ノースエンドでの体験で、彼は「選手に一番近いアドレナリンを得ることができるのは、監督だ」と実感したのだという。自分が選手としては大成しないであろうと感じていた彼は、その時から監督を志すようになったと『coachesvoice.com』でのインタビューで語っている。
プレストンでの教育課程を終えてベルギーに戻った彼は、ひとまずは「どのような仕事でもいいから」と、片っ端からプロクラブの門を叩いたそうだが、どこも受け入れてくれるところはなかった。
最後に「週末の試合を録画して、それを編集して送って」という返答をくれたのが、奇遇にも少年時代に所属していたシント=トロイデンだった。
さっそく試合を撮影したスティルは、彼曰く「26回は試合を見返して」徹底的に分析したレポートをつけてクラブに持参した。すると当時のヤニック・フェレーラ監督は「これは期待していた以上だ!」と驚嘆し、即、ビデオアナリストとしての職を得ることになった。報酬はタダ同然だったそうだが、これが、彼のキャリアの第一歩だった。
(取材・文:小川由紀子【フランス】)
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