ロシアW杯からの4年で掴んだ飛躍
「その時期にシント=トロイデンへ行って、1年後にシュトゥットガルトに来たけど、自分が思い描いたカタールW杯に出るという目標を達成しつつあるのは嬉しい。でもまだ試合に出たわけじゃないし、結果を残したわけじゃない。ここからが本番です」と9月に語気を強めていた。本人もプレーできる状態で本番直前を迎えられて、心からホッとしているに違いない。
森保ジャパンが発足した2018年9月。本人も話す通り、遠藤は欧州挑戦に踏み切ったばかりだった。25歳でのベルギー行きは通常より遅い印象もあったが、本人は自分らしいキャリアを歩んでいると受け止めていた様子だった。
「ボランチで勝負したい」という言葉通り、新天地ではそのポジションで起用され、結果を出していく。森保監督にも認められ、ロシアで長谷部とボランチを組んだ柴崎岳との同学年コンビがチームの軸に据えられ、2019年アジアカップへと向かっていく。
遠藤がケガで不在だった決勝・カタール戦で中盤にポッカリ穴が生まれた通り、すでにこの時点で彼は不可欠な存在になっていた。わずか半年前にロシアで苦汁をなめた男は、一気に階段を駆け上がったのである。
その勢いは2019年以降もとどまるところを知らなかった。シント=トロイデンではケガで後半戦の数試合を棒に振ったが、首尾よくその夏には当時ドイツ・ブンデス2部のシュトゥットガルトへの完全移籍を果たす。
だが、新たな環境での適応はベルギーよりはるかに難しく、序盤は出番を得られず苦しんだ。