バルセロナには“バルサのサッカー”しかない
しかし、それにしても、このピケのラストマッチで感じさせられることは、やはりバルサには“バルサのサッカー”しかないのだろう、ということだ。既にヨハン・クライフが率いた時代から、“美しく勝つ”ことが至上命題となり、ペップが率いた時代に、いわゆる世界中の誰もが即座に連想する“バルサのサッカー”が完成したわけだが、今ではそのスタイルが確固たるアイデンティティとなり、同時に足かせにもなっている。特に後方に広大なスペースを与える弱点は知られ尽くし、今季のシャビ・バルサもチャンピオンズリーグのグループステージを突破できなかった。
それでも、もはやバルサが、この“バルサのサッカー”を放棄することはないだろう。CLで敗退したからといって、シャビ監督がシメオネ・スタイルのカウンター型に切り替えるとは考えにくい。これからも愚直にポゼッションを貫くだろう。
だが、効率や合理性ではなく、ひたすら美学を貫くチームがあって、何も悪いことはない。その姿は、レアル・マドリードのファンからしたら不器用に映るかもしれない。
しかし、何より“美しく勝つ”ことがバルサの至上命題。そのテーマにこだわりポゼッションを貫くことで、一時はなかなか勝てない時があったとしても、そのテーマが現在のポセッション・スタイルをさらに進化させて再びカタルーニャのチームを軌道に乗せ、引いてはフットボール全体のさらなる発展に繋がっていくに違いない。
ピケが輝いた時代のバルサが、そうだったように――。
(文:本田千尋)