MF:中田英寿
【写真:Getty Images】
生年月日:1977年1月22日
トルシエジャパン成績:21試合3得点1アシスト
日本代表のワールドカップ初出場に貢献するなど、瞬く間に日本サッカー界の中心的存在となった中田英寿はフィリップ・トルシエ体制下でも重要なピースとしてプレー。主にトップ下として起用され、ワールドクラスのテクニックなどを武器に攻撃陣を牽引していた。
自身2度目のW杯となった2002年日韓大会では激しいマークに遭いながらも攻守に存在感を発揮。グループリーグ突破が懸かった第3節チュニジア代表戦では市川大祐のクロスを頭で合わせゴールを奪ったなど、日本代表史上初となるベスト16入りの立役者になっている。最終的にこの大会では1得点をあげるに留まったが、その輝きは数字以上のものがあったと言えるだろう。
黄金期にあったセリエAでプレーしていた当時の中田は数少ない「海外組」であり、スケジュール的に日本代表活動への参加が厳しくなることも珍しくなかった。事実、2001年のコンフェデレーションズカップでは中田の招集を巡ってトルシエ監督と所属先ローマの間で軋轢が起こっている。そのため、トルシエ体制下での出場数は21試合とそこまで多くない(トルシエジャパン出場数ではトップ10外)のだが、やはりピッチに立った際のオーラは特別なものがあった。