J1タイトル、そしてサッカー日本代表。父の想いは…
それでも工藤はめげることなく、プロの舞台で堂々と戦い続け、キャリアを積み上げていった。2010年からネルシーニョ監督の下で試合出場を増やし、2011年には北嶋秀朗、田中順也とFWの3本柱を形成し、J1タイトルを獲得する。ゴール数も2012年が13点、2013年は19点と右肩上がりで増え、2013年には念願だった日本代表入りも果たした。
冒頭の権田のコメント通り、工藤は東アジアカップに参戦。初戦・中国戦で初キャップを飾り、ゴールも奪った。その雄姿を現地で見ていた父・聡さんはこうコメントしていた。
「今まで客観的に見ていた日本代表戦に自分の息子が出ているなんて信じられなくて……。正直、壮人のプレーを直視できませんでしたね。オーストラリア戦と韓国戦は母親が現地まで見に行き、私は日本でテレビ観戦でしたが、優勝という最高の結果を残してくれて、私たち親も心から喜びました」
そうやって両親や家族、応援してくれる人たちに沢山の喜びをもたらした工藤。その後、バンクーバー・ホワイトキャップスや広島、レノファ山口、ブリスベン・ロアー、テゲバジャーロ宮崎と複数の環境を渡り歩いたが、アグレッシブに挑戦していく姿も勇気と希望、感動を与えたに違いない。
今回の訃報はあまりにも悲しく切ないが、彼が大好きなサッカーに真正面から向き合い、真摯に取り組み、高みを目指し続けたという事実は永遠に変わらない。工藤壮人という偉大なフットボーラーの歩んだキャリアに改めて敬意を表したいものである。
(取材・文:元川悦子)
【了】