「トップ昇格は保留状態」自ら掴んだプロへの切符
「試合に出てゴールを決めることですごく自信がつきましたね。いくら練習でいいプレーをしていても、試合で結果を残すのとは全然違うので。前線でのポストプレーだとか、駆け引きだとか、ゴール前の動きの原型ができたのもこの時期でした」
そう本人が言うように、2004年の日本クラブユース選手権(U-15)や高円宮杯全日本ユース選手権(U-15)などにも参戦し、柏U-18昇格も果たした。
高校時代の工藤は柏日体に通いながらユースの練習に参加するという超多忙な日々を過ごした。学費とサッカーにかかる費用は月10万をはるかに越える。しかも工藤家には兄と弟がいたから、両親は大変だったはずだ。
母・恵子さんは日中に事務の仕事をこなし、夜には飲食店で働いて、息子の夢を応援した。そんな苦労を間近で見ていたからこそ、工藤は「絶対にプロになって恩返しするんだ」と決意。2008年夏の日本クラブユース選手権(U-18)での得点王をつかみ取り、トップ昇格を自らの手で引き寄せたのだ。
「実は高校3年生の夏まで壮人のトップ昇格は保留状態で、本人も私たち親も大学進学も視野に入れていました。クラブユースの得点王でゴーサインが出て、同期6人目に滑り込めましたけど、ホントにギリギリでした。
とはいえ、トップに上がった2009年も5番手FWからのスタート。本当に厳しい立場が続きました」と父・聡さんは息子を慮った。