想像以上にハードだった柏レイソルアカデミー時代
そんな両親の後押しのおかげで、工藤は柏のセレクションに合格し、4年から柏に通うようになる。高学年になったとはいえ、小学生が竹ノ塚から柏へ片道1時間以上かけて通って、レベルの高い練習をこなし、夜21~22時に帰る生活というのは、想像以上にハードだった。それでも本人はめげずにやり続けた。
母・恵子さんが土砂降りの雨の日に「今日は休んだら」と言っても、「サッカーが嫌だと思ったことは1回もない。絶対に休まない」とキッパリ言って出かけていったという。それだけサッカーへの情熱は凄まじかったのだ。
柏U-15に昇格したのは、日韓ワールドカップ開催翌年の2003年春。同期には酒井宏樹も加わり、チーム内の競争は一段と激化した。そんな中、小学生の時はボランチや右サイドバックを主戦場にしていた工藤がFWにコンバートされた。ボランチ経験から来る視野の広さに加え、止める蹴るの技術の高さ、ハードワークという長所を認められたからだ。
とはいえ、すぐに試合に出られるわけではないのが柏という環境。レギュラー組には比嘉厚平と山崎正登が入り、控えに武富孝介。工藤や指宿洋史がベンチ外ということもあったようだ。中2のナイキプレミアカップ出場権をかけたサンフレッチェ広島ユースとの決勝戦でも出場機会を得られず、不甲斐なさを感じたようだが、酒井直樹コーチの「今、腐ったら終わりだよ」という一言に励まされ、前を向き続けた。
村井一俊監督も「ガンバルマン」と太鼓判を押すほどの努力を目の当たりにしたという。そして吉田達磨監督が中3から使い始めたことで、ようやく彼は存在感を示せるようになった。