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【写真:Getty Images】
長谷部誠(はせべ・まこと)
生年月日:1984年1月18日
日本代表通算成績:114試合2得点10アシスト
W杯通算成績:11試合0得点0アシスト
岡田武史監督の下で日本代表に定着すると、南アフリカワールドカップ直前にそれまで中澤佑二が務めていたキャプテンに抜擢された。何よりも選手本人が困惑したはずだが、自身初の大舞台となった南アフリカ大会では先頭に立って見事チームを牽引し、日韓大会以来となるベスト16入りに貢献。そこから日本代表不動の主将としてキャリアを築き上げていった。
2014年のブラジル大会は自身、そしてチームともに悔しい結果に終わってしまったが、2018年のロシア大会では再び母国をベスト16へと導いている。W杯通算11試合出場は長友佑都、川島永嗣に並んで日本代表歴代トップの成績。キャプテンとして3大会連続でW杯に臨んだのは同代表史上初のことであり、今後同じような選手が出てくることはないかもしれない。
【写真:Getty Images】
稲本潤一(いなもと・じゅんいち)
生年月日:1979年9月18日
日本代表通算成績:82試合5得点3アシスト
W杯通算成績:8試合2得点0アシスト
日本代表がワールドカップで初めてベスト16に生き残ったのが2002年の日韓大会だ。その立役者となったのがこの男。グループリーグ初戦のベルギー代表戦で思い切り左足を振ってゴールを奪い勝ち点1をもたらすと、続くロシア代表戦では柳沢敦の華麗な落としを右足でプッシュし、日本代表にW杯初勝利をもたらした。そんな同大会での活躍から「ワンダーボーイ」とも評された。
2006年のドイツ大会は中田英寿と福西崇史にレギュラーの座を譲ったため、先発出場はブラジル代表戦の1試合のみ。メンバーに滑り込んだ南アフリカ大会は4試合でわずか3分の出場に留まっている。それでも、日本代表のW杯における歴史を大きく変えた日韓大会の活躍は色褪せない。間違いなく、日本代表のW杯歴代ベストイレブンに相応しい人物だ。
【写真:Getty Images】
中田英寿(なかた・ひでとし)
生年月日:1977年1月22日
日本代表通算成績:77試合11得点4アシスト
W杯通算成績:10試合1得点0アシスト
日本代表にとって初のワールドカップとなった1998年のフランス大会で、当時21歳だったこの男はすでに中心にいた。チームは3戦全敗でグループリーグ敗退に終わったものの、個人として残したインパクトは申し分なかった。そして2002年の日韓大会にはトルシエジャパンの大黒柱として出場。グループ第3戦のチュニジア代表戦でゴールを決めるなど、初のベスト16入りに大きく貢献した。
29歳で迎えたドイツW杯は過去2大会と違い、ボランチでのプレーがメインとなった。しかし、攻守のつなぎ役を担うも結果に表れず、チームは3戦未勝利でグループリーグ敗退。ブラジル代表戦後、涙を浮かべた背番号7はセンターサークルで仰向けになって倒れ込んだ。そのシーン含め、この男がW杯という最高の舞台で残してきた印象は大きかった。
【写真:Getty Images】
本田圭佑(ほんだ・けいすけ)
生年月日:1986年6月13日
日本代表通算成績:98試合37得点23アシスト
W杯通算成績:10試合4得点3アシスト
ワールドカップという舞台にめっぽう強かったのがこのレフティーだ。自身初のW杯となった2010年の南アフリカ大会では初戦のカメルーン代表戦で決勝ゴールを奪うと、グループリーグ最終節のデンマーク代表戦ではスーパーゴールを決めるだけでなくアシストも記録。ベスト16入りの立役者になった。続くブラジル大会でも、3試合で1得点1アシストと十分な結果を残している。
2018年のロシア大会ではサブ要員だったが、勝負強さは変わらず。初戦のコロンビア代表戦で大迫勇也の得点をアシストし、続くセネガル代表戦では貴重な同点弾をマークと、限られた時間の中でも決定的な仕事を果たした。W杯通算4得点は並み居る実力者たちを抑え、日本代表歴代単独トップの成績。今後、この記録を塗り替える人物は果たして現れるのだろうか。