なぜ審判に抗議しなかったのか
規律と正確性をもって自らのタスクを全うする姿勢、危険を察知し次の展開を予測する早さ、何が最善かを瞬時に見極める判断力、そして常に正しい決断を下す知性といった守備者に必要なあらゆる能力を遺憾なく発揮して絶大な存在感を放った。トラップは長谷部について「フィジカル的にそれほど強くないかもしれない」と述べたが、ゴール前のフィジカル勝負でも全く引けを取らなかった。
長谷部の偉大さがよく表れた場面がいくつかある。1つは45分に見せた自陣ゴール前でのシュートブロックからの一連の流れだ。
ピエール・エミル・ホイビェアのスルーパスに抜け出したリシャーリソンが、フリーでペナルティエリア内に侵入してシュートを打とうとする。その足もとに全力でカバーに入った長谷部が滑ってフィニッシュを阻止した。
その後、リシャーリソンは痛みを訴えてピッチに転がり、ケインらが主審にファウルがあったのではないかと抗議する。しかし、長谷部はまずリシャーリソンに詰め寄って、早く立ち上がるよう促した。これには重要な意味があった。
おそらくゴール前でリシャーリソンが倒れた際、VARはPKの可能性を頭に入れて映像を確認する。ケインたちの主審に対する抗議もVARルームから見えているはずで、余計にPKを意識してしまうかもしれない。
だが、この場面で長谷部はリシャーリソンの足に一切触れていない。そもそも38歳のセンターバックはブラジル代表FWの足に対してではなく、シュートコースに向かって滑り込んでいた。実際のところリシャーリソンは自分で地面に足を引っ掛けてシュートに失敗し、転んだだけだ。
ここで長谷部は主審に「自分はファウルをしていない」と抗議するより、リシャーリソンに直接「ファウルではなく自損事故なんだから、痛がっていないで立て!」と要求する方が審判団に対するメッセージとして印象がいいと判断したのだろう。その姿が中継カメラに捉えられれば、VARのもとにも映像が届く。
ああでもない、こうでもないと主審に直接抗議してストレスを与えるより効果的な意思伝達の方法ではなかろうか。この場面では結局ファウルが確認されず、トッテナムにPKが与えられることもなかった。