背番号8
【写真:Getty Images】
フランスW杯:中田英寿(湘南ベルマーレ)
生年月日:1977年1月22日(21歳)
個人成績:3試合0得点0アシスト
戦績:グループステージ敗退
日韓W杯:森島寛晃(セレッソ大阪)
生年月日:1972年4月30日(30歳)
個人成績:3試合1得点0アシスト
戦績:ベスト16
ドイツW杯:小笠原満男(鹿島アントラーズ)
生年月日:1979年4月5日(27歳)
個人成績:2試合0得点0アシスト
戦績:グループステージ敗退
南アフリカW杯:松井大輔(グルノーブル)
生年月日:1981年5月11日(29歳)
個人成績:4試合0得点1アシスト
戦績:ベスト16
ブラジルW杯:清武弘嗣(ニュルンベルク)
生年月日:1989年11月12日(24歳)
個人成績:1試合0得点0アシスト
戦績:グループステージ敗退
ロシアW杯:原口元気(デュッセルドルフ)
生年月日:1991年5月9日(27歳)
個人成績:3試合1得点0アシスト
戦績:ベスト16
中田英寿は1997年に日本代表デビューを飾ると瞬く間に中心選手となった。イラン代表とのアジア第3代表決定戦では中山雅史の先制点、さらに城彰二の同点弾をアシストすると、延長後半にはドリブルで持ち込んでシュート。これは相手GKに弾かれたが、岡野雅行の決勝点を導き、全3得点に絡む活躍で「ジョホールバルの歓喜」の立役者となった。だが、フランスW杯では全試合にフル出場するも勝ち点を挙げることが出来ずに敗退となった。
同大会後に中田は背番号を7に変更。背番号8はフランスW杯で共に戦った森島寛晃が着用した。森島はトルシエジャパン発足当初は代表を離れていたが、2000年6月のハッサン2世カップでフランス代表から得点を決めると、10月のアジアカップでは日本代表の優勝に貢献。代表に定着し、日韓W杯メンバーに選出された。本大会では初戦こそ結果を残せなかったが、チュニジア代表戦に後半から出場すると、投入直後にゴールを決めてグループステージ突破に導いた。
森島は同大会後に日本代表から遠ざかり、背番号8は小笠原満男に受け継がれた。2002年3月に代表デビューしたこの男は、6月の日韓W杯に臨むメンバーにサプライズ選出された。同大会後に発足されたジーコジャパンにも名を連ねたが、当時のチームには中田英寿や稲本潤一らがいたために絶対的な存在とはなれず。自身2大会連続出場となったドイツW杯では、クロアチア代表とブラジル代表戦に先発出場するも存在感を示すことが出来なかった。
4年後の南アフリカW杯では、松井大輔が背番号8を着用した。松井は岡田ジャパンで不動の存在ではなかったが、本大会直前の4連敗を受けて岡田監督は戦術を変更。これにより、同選手は中村俊輔に代わってスタメンに抜擢された。すると、松井は攻守で躍動した。初戦のカメルーン代表戦で本田圭佑の得点をアシストすると、その後も全試合に先発出場。日本のキーマンとなる活躍で2大会ぶりの決勝トーナメント進出に貢献した。
その後に同背番号を継承した清武弘嗣は、圧巻のパフォーマンスを魅せた試合もあったが、香川真司、本田らからはポジションを奪えず。ブラジルW杯はコロンビア代表戦での5分間のプレーに終わった。そして、ロシアW杯で8番を付けた原口元気は、ポーランド代表戦を除いた3試合に先発出場。ラウンド16のベルギー代表戦では先制点を決める活躍をみせたが、日本は2点のリードを守り切れず敗戦。初のベスト8進出は叶わなかった。