背番号7
【写真:Getty Images】
フランスW杯:伊東輝悦(清水エスパルス)
生年月日:1974年8月31日(23歳)
個人成績:出場なし
戦績:グループステージ敗退
日韓W杯:中田英寿(パルマ)
生年月日:1977年1月22日(25歳)
個人成績:4試合1得点0アシスト
戦績:ベスト16
ドイツW杯:中田英寿(ボルトン)
生年月日:1977年1月22日(29歳)
個人成績:3試合0得点0アシスト
戦績:グループステージ敗退
南アフリカW杯:遠藤保仁(ガンバ大阪)
生年月日:1980年1月28日(30歳)
個人成績:4試合1得点0アシスト
戦績:ベスト16
ブラジルW杯:遠藤保仁(ガンバ大阪)
生年月日:1980年1月28日(34歳)
個人成績:2試合0得点0アシスト
戦績:グループステージ敗退
ロシアW杯:柴崎岳(ヘタフェ)
生年月日:1992年5月28日(26歳)
個人成績:4試合0得点1アシスト
戦績:ベスト16
1996年のアトランタ五輪でブラジル代表からゴールを決めて「マイアミの奇跡」の立役者となった伊東輝悦は、フランスW杯直前のスイス合宿に参加。アジア最終予選に1試合も出場していなかったにも関わらず、岡田武史監督に声を掛けられ、本大会メンバーにも名を連ねた。だが、当時中盤を務めた中田英寿、名波浩、山口素弘は替えが利かない存在だったため、伊東には出番が回ってこなかった。
日本代表の7番と言えば、中田英寿を思い浮かべる人が多いのではないだろうか。21歳ながらフランスW杯で日本代表の中心となったこの男は、同大会後に背番号7を継承。日韓W杯でも日本を牽引すると、グループステージ第3節のチュニジア代表戦でゴールを決め、初の決勝トーナメント進出に導いた。
3大会連続出場となったドイツW杯では、中村俊輔がいたこともあり前2大会でプレーしたトップ下からボランチへ。日本は初戦のオーストラリア代表戦で逆転負けを喫すと、続くクロアチア代表戦はスコアレスドロー。中田は攻守で奮闘し、ミドルシュートで相手ゴールを脅かしたが得点を奪うことは出来なかった。そして、わずかな望みを懸けて臨んだブラジル代表戦は1-4で敗戦。試合後に中田はピッチ中央に倒れ込み、この試合を最後にユニフォームを脱いだ。
この後に背番号7を受け継いだのが、ドイツW杯で中田の勇姿をベンチから眺めた遠藤保仁だ。ドイツW杯では出番がなかったが、遠藤は同大会後から日本代表の中心選手に。岡田監督の下で出場した南アフリカW杯では、初戦のカメルーン代表戦で先制点の起点になると、第3節のデンマーク代表戦ではゴール正面から直接FKを決め、日本を2大会ぶりの決勝トーナメント進出に導いた。
同大会後に発足したザックジャパンでも遠藤は中心選手の1人だった。しかし、自身3大会連続出場となったブラジルW杯の中盤のファーストチョイスは長谷部と山口蛍。遠藤は初戦のコートジボワール代表戦と第2戦のギリシャ代表戦に途中出場したが日本を勝利に導くことは出来ず、第3節のコロンビア代表戦では出番がなく、同大会を終えることになった。
その遠藤から7番を受け継いだ柴崎岳は、2014年に日本代表デビュー。ハビエル・アギーレ監督の下では存在感を見せていたが、ヴァイッド・ハリルホジッチに監督が交代すると出場機会が減少。ロシアW杯アジア予選ではほとんど招集されなかった。だが、本大会直前にハリルホジッチ監督が電撃解任。後任に西野朗監督が就任すると、本大会メンバーに選出され、全試合に先発出場して日本3度目の決勝トーナメント進出に大きく貢献した。